4代家綱さんのことを、「影薄将軍」と命名してブログネタにするなんて、失礼だろ!
はい、すいません!
猛省しております。
5代将軍は、あの「犬公方」綱吉さんだから、小学生でも知っています。
この人もいろいろとエピソードが豊富だから、関連記事を作成するのは容易だなと感じつつ、ふと、「あれ、そういえば6代って誰だっけ? ん、あと7代は?」と自問したものの、、、
そうなんですよ、常連の皆さん、6代目も家綱に負けず劣らず、影が薄いんですよ、これが。
誰だっけ、徳川6代将軍って。
あと、7代目もやばいくらいに無名ですよね~。
やはり、綱吉=「犬公方」のように異名がないと、記憶にも残らないんですかね~。
8代吉宗は「暴れん坊将軍」って、それはテレビドラマの話だろ!
とセルフ突っ込みをしたところで、本記事は徳川「影薄将軍」シリーズの新作となります。
では、そろそろ、影の薄さに定評があるお二方を紹介しましょう。
6代将軍は徳川家宣で、7代将軍は徳川家継。
6代家宣(いえのぶ)は綱吉の息子ではなくて、4代家綱の弟である綱重の子、すなわち、綱吉の甥にあたり、家光からみれば孫になります。
綱吉没後に将軍に就いた6代家宣は3年後に亡くなっています。
だから、仕方ないんですよ、影が薄いのも。
ほんの3年間しか将軍を務めていないんですから。
その6代家宣死去の後、将軍位を継承したのは徳川家継。
その家継(いえつぐ)は、なんと、満三歳で将軍に!
しかも、この7代将軍は満六歳と数カ月でこの世を去っております。
せっかく、「家」を「継」いだのにね~。
そりゃあ、存在感がないはずですよ、6代家宣も7代家継も。
仕方がないですよね、お二方の能力・資質が云々というよりは、寿命の問題ですから。
従って、将軍二人に焦点が当たらない分、新井白石や間部詮房(まなべあきふさ)がデカい面を、、、おっと失礼、活躍するわけですね。
新井白石は、木下順庵(きのしたじゅんあん)門下の儒者で、系統的には京学派。
藤原惺窩(ふじわらせいか)~松永尺五(まつながせきご)~木下順庵~新井白石という流れ。
ホント、この辺は暗記しないと入試に出るから受験生は大変。
二人の将軍を支えた新井白石の政策を以下に。
*綱吉の「生類憐みの令」を廃止
*荻原重秀(おぎわらしげひで)を罷免
荻原重秀とは綱吉時代に貨幣改鋳を行い、金の含有量を減らした元禄小判を発行した人物。
当然、貨幣価値が下がるから物価は高騰し、人々の暮らしを圧迫。
では、白石はどうしたのかというと、、、
*家継の時代に良質の貨幣(正徳金銀)を発行
質の悪い元禄小判が気に食わない白石は、金の含有量が以前の慶長小判と等しい正徳(しょうとく)小判を鋳造させました。ただ、再度の貨幣改鋳はかえって社会に混乱をもたらしてしまったんです、残念!
*海舶互市新例(かいはくごししんれい)
白石は自伝『折たく柴の記』のなかで、開幕以来の100年間に長崎貿易で海外に莫大な金銀(金が約730万両、銀は約120万貫)が流出したと述べております。
国外へ流れる金銀量を削減するために、白石は「海舶互市新例」を出して、貿易額を制限します。
具体的には、オランダ船の来航は年間2隻まで、貿易額は銀3000貫、一方の清は年間30隻まで認め、貿易額は銀6000貫と定めました。
また、清船に対しては信牌(=貿易許可証)制を実施することで密貿易を防止。
この新例については、この程度の説明にとどめておきましょう。
白石は他にも、朝鮮通信使の待遇を簡素化したり、新たな宮家の閑院宮家(かんいんのみやけ)を創設したり、衣服制度を整備して一目で家格がわかるようにしたり、、、、
そんなこんなで、影薄将軍の代わりに新井白石が思うがままに(?)采配を振るったのでございます。
白石の政治は年号から「正徳の治」とか「正徳の政治」などとよばれております。
儒者としては幸せな人だと思いますよ、自分の信念・理想を政策として実行できたのですから。
家継没後、吉宗が八代将軍に就任すると、白石や間部はお払い箱に。
よく言われるのが、新井白石や間部詮房が力を持ちすぎたからだ、云々。
要は、幕府内の権力闘争の結果でしょう。
さて、暴れん坊将軍は存在感を放ちすぎなので、この「影薄将軍」シリーズには不向きゆえ、登場しません。
吉宗ファンの皆様、悪しからず。
繰り返しになりますが、6代家宣と7代家継の時代は合わせても、わずか7年ほどですから、影が薄くなるのも当然のこと。
ということで、今回は「家宣と家継の影が薄すぎて、白石が目立ちまくり」の巻でした。
常連の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます。