すっかり、お馴染みで大好評(?)となりました「影薄将軍」シリーズ。
今回は、室町幕府五代目将軍の影薄ぶりに注目しましょう。
足利将軍については、前回は二代目の義詮が登場。
その際に、義詮は影薄界きっての逸材であると書きました。
しかしですね、本記事のメインキャラである五代目こそ、もしかしたら、「影薄将軍選手権」の世界チャンピオンかもしれません。
常連の皆さん、五代将軍の名前が頭に浮かびますでしょうか。
正直言って、当ブログは聞いたことすらなく、あわてて参考資料をめくりました。
四代目義持の認知度はまあまあだし、六代目の義教はかなり重要ですよ、受験の観点からは。
そう、義持は父義満が開始した日明貿易を中断させた将軍として頻出だし、義教はなんと暗殺されますからね、播磨守護の赤松満祐に。
また、義教は「くじ引き将軍」の異名もあれば、恐怖政治で周囲はビビりまくったと伝わるなど、独裁者のイメージを強烈に放っております。
そんなこんなで知名度の高い二人に挟まれて、五代目さんは地味ですね~。
では、そろそろ、「影薄すぎ!」とか「地味にもほどがある!」などと酷い言われようの室町幕府五代将軍の名前を、、、、、
その人物とは、、、、
足利義量でございます。
この「義量」は「よしかず」と読みます。
私は不勉強で、初見では「よしかず」と読めませんでした。
この義量は四代義持の長男で、満15歳の若さで父義持から将軍職を譲られております。
時に、義持はまだ30代のバリバリですから、当然、大御所として采配を振るったはず。
三代義満が早くに義持に将軍位を譲ったのを踏襲したのでしょうか。
では、なぜ五代義量の存在感が希薄すぎるのでしょうか。
常連の皆さんが「はは~ん」と推察している通りで、この義量は早逝しております。
1407年生まれの義量は、1425年に満17歳と数カ月で死去。
将軍在位期間は2年にも満たないし、壮年の父が大御所として控え、有力な管領も幅を利かせる環境で、十代のガキ、おっと、少年に何ができるでしょうか。
それに、義量は大酒飲みとの悪名が轟いていたと伝わります。
真偽不明の逸話として、義量が父義持から鯨飲を咎められ、近臣は義量に酒を勧めない旨の起請文をとられたとあります。
よくある話で、大酒飲みの亭主の女房が「うちの人にあんまり飲ませないでください」とか周囲に頼むパターンですね。
そんなもの、効果ありませ~ん!
酒飲みは、誰が何と言おうが、断固飲みますから。
え、「おまえのことだろ!」ですか、ハハハ。
生来、病弱であったと伝わる義量を父義持は溺愛したそうです。
というのも、義持の実子で元服を超えて存命したのが義量だけという事情もあるからでしょう。
嫡子も兄弟もいなかった義量が没した後、父義持は後継将軍や嫡子を決めないまま、1428年に亡くなるまで実権を握り続けます。
生まれつき身体が弱く、疱瘡を患うなどしていた義量。
真偽のほどは確かではないのに、史家や研究者のなかにも「大酒飲み」「酒のために早死にした」「酒色に溺れた」などと容赦なく義量を断じる者たちがおります。
なんだか、「酒ぐらい、飲んだっていいじゃないか!」と弁護したくなりますね、酒好きのブログ主としては。
仮に、義量が本当に『飲んだくれ将軍』だったとしたら、私としては親近感わきまくりでございます。
テレビか映画でやってくれないかな、『義量泥酔記 飲んだくれ将軍』を、ぜひ!
例の『吉宗評判記 暴れん坊将軍』に対抗して。
毎回毎回、義量が飲んだくれて、女遊びにうつつを抜かして、、、、
って、ウケないよ、令和のご時世じゃ!
と、最近恒例のセルフ突っこみを入れたところで、本記事はそろそろ幕引きといたしましょう。
だってね~、この義量については、ホント大したエピソードが見つからないんですよ。
義量に関して詳しい方がいらっしゃいましたら、ご教示ください。
今回は「冗談抜きで、義量こそ影薄界の絶対王者かも!」の巻でした。
常連の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます。