すっかりお馴染みとなりました「難関私大日本史問題」シリーズ。
今回も頭の体操感覚でお楽しみください。
では、例によって名前は出しませんが、誰もが知る有名私大の問題を以下に。
*高句麗に関する記述として誤っているものを、以下のア~エの中から一つ選びなさい。
ア 高句麗は紀元前1世紀に中国東北部からおこり、しだいに朝鮮半島北部に領土を広げていった。
イ 高句麗は313年に西晋の支配下にあった楽浪郡を滅ぼした。
ウ 高句麗は6世紀末に中国を統一した隋とは協調関係にあり、その庇護のもとで百済を圧迫した。
エ 高句麗は668年に唐と新羅の連合軍によって滅ぼされた。
え、「なんで、日本史問題に高句麗が出てくるんだ! ふざけるな!」ですか。
それがですね、朝鮮半島情勢はけっこう出題されるんですよ。
お許しください。
常連の皆さん、どれか一つ選択していただけましたか。
では、アからみていきましょう。
高句麗の建国は前37年とされているので、出だしの部分は正しいですね。
まあ、伝説だとして、これを否定する学者もいます。
それから、後半の「朝鮮半島北部に領土を広げていった」も誤っておりませんので、アは正しいです。
次のイも正しいです。
高句麗は313年に楽浪郡を滅ぼし、314年には帯方郡も攻略。
ちなみに、楽浪郡をおいたのは前漢の武帝で、紀元前108年のことです。
高校時代に、「前漢武帝は、前入れ歯(=前108年)」と語呂合わせで暗記しました。
ウにいきましょうか。
隋が中国を統一したのは、確かに6世紀末の589年ですが、、、、
高句麗と隋が協調関係にあったかというと、、、、
ハイ、逆ですね。
隋は高句麗遠征を3回も計画し、その失敗のせいで各地で反乱がおこり、統一後30年たらずで滅んでおります。
隋滅亡は618年で、もちろん、後釜に座ったのが唐。
ということで、「ウ」の記述に誤りがあるので、設問の答えは「ウ」となります。
当然、エも史実です。
いかがでしたか。
それでは、もう一問いきましょう。
*推古天皇に関して、以下のア~エの記述のうち誤っているものを一つ選びなさい。
ア 推古天皇は欽明天皇の皇女で、蘇我氏との姻戚関係はない。
イ 推古天皇は用明天皇の同母妹であり、最初の女性天皇となった。
ウ 推古天皇の甥は厩戸王で、蘇我氏系の穴穂部皇女の息子である。
エ 推古天皇は敏達天皇の皇后であり、娘は厩戸王に嫁いでいる。
常連の皆さん、ア~エまでをじっくり読んで「誤っている」と思うものを選んでください。
それでは、ひとつひとつ事実確認をしていきましょう。
まず、アから。
アの前半「推古天皇は欽明天皇の皇女」は、、、、、
正しいですね。
欽明天皇と堅塩媛(かたしひめ=蘇我稲目の娘)との間に産まれたのが推古天皇です。
となると母が蘇我一族だから、推古天皇にも蘇我の血が流れております。
要は、蘇我稲目が推古天皇の母方の祖父になるわけですから。
従って、推古天皇は蘇我氏との姻戚関係が深いわけです。
はい、というわけで、「ア」の記述に誤りがあるので、設問の答は「ア」でございます。
って、あっさり終わってしまいました~。
当然、イ~エまではすべて正しい記述となります。
ついでですから、以下に推古天皇や厩戸王(=聖徳太子)やその周辺の人物相関を以下に書いておきます。
*継体天皇の息子が欽明天皇で、欽明天皇の息子が用明天皇で、欽明天皇の娘が推古天皇。
*つまり、用明天皇と推古天皇は兄と妹の関係である。
*用明天皇の息子が厩戸王だから、推古天皇は厩戸王の叔母にあたる。
*厩戸王の妻である穴穂部皇女(あなほべのひめみこ)は蘇我稲目の孫だから、聖徳太子にも蘇我氏の血が流れている。
*もちろん、蘇我稲目とは蘇我馬子の父親。
*厩戸王には菟道貝蛸皇女(うじのかいたこのひめみこ)という妻もいて、その方は推古天皇の娘である。
*ちなみに、推古天皇の夫は敏達天皇であり、二人の娘が上記の菟道貝蛸皇女。
なんか、ゴチャゴチャしてわかりにくくて申し訳ないです。
人物相関図を図示するテクニックを持ち合わせておりませんので。
詳しく調べたい方はネット検索すれば、すぐに出てきます。
その図を見ると、蘇我氏と大王(天皇)家の深い関係が読み取れます。
結局、蘇我氏が行ったことを、時代は下がりますが、藤原氏が模倣(?)して摂関政治が登場するのかな、、、
本記事はここで締めることといたしましょう。
このシリーズはまだまだ続く、、、、、?