酷暑の毎日に体力は奪われ、頭はクラクラしつつも、なんとか生き延びておりまする、、、

いや~、信じられないほどの暑さですね、言っても仕方がないけど。
常連の皆さん、体調など崩していませんか。

岡谷修行僧は山に籠って、滝行三昧の日々を送っているそうです。
それはそれで、ちょっと冷たすぎるのでは、、、

こう暑いと、思考回路がショートするのか、ブログネタはあるけど、考えが纏まらないというか、指がキーボード上で固まってしまいますね。
って、気候のせいにするんじゃない!

さて、我が身を叱咤したところで、なんとか思いつくままに駄文をひねり出してみましょう。

突然ですが、「戦争経験」とか「戦争体験」とかの定義は何なのでしょうか。
昭和20年4月に防空壕の中で生まれた新生児は「戦争経験」をしたことになるのでしょうか。
え、「それは誰のこと?」ですか。
実は、森山裕前幹事長のことですが、、、

たまたま、夕飯時にニュース番組を観ていたら、森山氏が終戦の年に防空壕の中で生まれた事実を紹介しておりまして、それを「戦争経験」と見なしているようなニュアンスが伝わってきたものですから。
こちらとしては「へぇ~、出生地が防空壕なら、その赤ん坊は戦争を経験したことになるのか~」と、なんとも複雑な思いを抱えたわけです。

森山氏は「平和がいかに大事であるかは、乳飲み子の頃から体験しているわけです」と語っておりました。
このセリフ聞いて「凄いな、この人、乳児のころから平和の重要性についてわかっていたのか!」と感嘆し、なんという非凡な人物であろうかと尊敬の念を抱いたのであります、って冗談はこれぐらいにしておかないと。

現政権に批判的な左派・リベラル寄りのテレビ局が、森山氏を担ぎ出し、「防空壕内生まれ=戦争経験」という一種の箔付けを行って、森山氏の発言に重みを持たせようとしている、、、といった感じにしか当ブログには映りませんでした。
つくづく、自分でも性格が悪いと思うな~、ハハハ。

でも、実際に大東亜戦争に従軍した祖父を持つ身としては、「昭和20年に生まれた子供がどんな戦争経験をしてるんだよ」とツッコミたくなるんですよ。
支那とビルマと二度戦地を駆け巡った祖父に尋ねてみたい「じいちゃん、終戦の年に生まれた赤ん坊は戦争を経験したことになるんだろうか」と。

ちなみに、終戦時にはほんの子どもだった父は常に「俺が徴兵される前に戦争が終わった。だから、実際の戦地のことは全くわからん」と語っていたし、自分が戦争を体験したなどと祖父の前では口が裂けても言わなかった。

とまあ、極めて個人的な、我が家の内輪話を書きました。
森山氏が戦争を経験していると主張するのは、それは森山氏の勝手。
どうぞ、お好きにしてくださいませ。

それにしても、ほとんどの日本人の戦争観は81年前で止まったまま、固定化したまま、思考停止状態。
8月15日前後になると、大東亜戦争関連の報道番組や特集が組まれたりするけれども、毎年毎年、判で押したような内容。
特攻、東京大空襲、沖縄戦、広島・長崎、玉音放送、、、

この限られた事実を並べれば、戦争を理解できるとメディアは思っているようですね。
特に、敗色濃厚となった昭和19年以降についての情報だけに焦点が当たりがち。
戦争が残酷で悲惨であることは間違いないが、日本人の多くは戦争を忌み嫌うあまりに、大東亜戦争のことを冷静に考察していないようです、私の勘違いでなければ。

多数の日本人の戦争に対する態度は「反戦」というようは、「考えたくもない!」という拒否感ではないでしょうか。
だから、自称・識者やインフルエンサーたちが、戦争に関して発言すると、極めて一面的で皮相的な内容になりがち。
また、機会をみて具体例を挙げようと思いましたが、、、

せっかくだから、ひとつだけ指摘すると、戦争反対を掲げる人のほとんどが、日本が攻撃される事態を全く想定していないこと。
さらには、この「攻撃」が必ずしも軍事行動に限られないことを考慮していないこと。
一例としては、最近よく耳にする認知戦がありますが、その恐ろしさを認識していない「お花畑さん」たちの多いこと。

そもそもが、大昔から、経済の戦いもあれば思想・イデオロギーの対立や戦いもあるし、謀略もあればスパイ戦もある。
この程度の常識は、日本以外の国であれば子供でも理解しているでしょう。
それなのに、日本人の多くが戦争に対する拒否感が強すぎて、戦争のメカニズムを冷静に分析することを放棄しています。
そして、「平和が大事」「戦争反対」「平和憲法を守れ」と唱えたら、日本が未来永劫、平和だと妄想しているわけです。

前文の内容は何かに似ていますよね、そう、宗教です。
何も考えずに「戦争反対、平和憲法を守れ!」と叫んだら、日本が平和で攻撃されないと盲信する態度は、「南無阿弥陀仏」と唱えたら極楽往生できるとの信心と同様の精神構造です。

とまあ、ここまで脈絡もなく書き連ねてきました。
最初は、戦争体験の定義はなんだろうと問いかけておいて、次に森山氏を褒めたり(?)したかと思ったら、最後の方はお花畑の人々に対する批判。

今回も、行き当たりばったり。
この辺でキーを叩く指を止めるといたしましょう。

常連の皆さん、本記事も最後まで読んでいただきありがとうございます。