この記事は、徳川ファンの方々も読んでくださいませ。
戦国もので徳川勢が登場する場面を思い出していただきたい。
徳川の馬印には「厭離穢土 欣求浄土」と記されている。
今年のNHK大河『豊臣兄弟!』でも、合戦場面で登場しているはず。
さて、厭離穢土は「おんりえど」と、欣求浄土は「ごんぐじょうど」と読む。
って、徳川好きには常識中の常識でしたね、失礼!
本記事は、家康ファンの皆さまにとっては「何をいまさら」感満載のものとなりそう。
最初に謝っておきます。
~ 新鮮味のないことばかり並べますが、どうかご容赦のほどを ~
では、「厭離穢土」から。
前半の「厭離」とは、「いとい捨て去る」こと。
後半の「穢土」は「汚れた国土」の意味で、この世(娑婆世界)を表している。
従って、厭離穢土とは、この煩悩で穢れきった世間を捨て去る、という意味でございます。
次に、「欣求浄土」について。
最初の「欣求」は、「切望する」との意味。
後半の「浄土」は、言うまでもなく、阿弥陀如来の極楽浄土のこと。
ですから、欣求浄土とは、阿弥陀如来さまの住まう極楽浄土に生まれることを切に願い求める、という意味です。
蛇足ながら、厭離穢土と欣求浄土は互いに対をなしており、「この世が穢れている」という自覚が「浄土に生まれることを切望する」ことの前提となっております。
これらは浄土思想の基本用語であり、源信の『往生要集』に詳しい説明あり。
では、なぜ家康が「厭離穢土 欣求浄土」を旗印にしたのか。
通説(?)では、桶狭間の敗戦後に家康が大樹寺の住職からこの文言と教えを授かったというもの。
ただ、これを裏付ける資料は存在しないらしく、「逸話」扱いしたほうがよさそうだ。
しかしながら、話の筋は通っている。
大樹寺は愛知県岡崎市にある浄土宗の寺院で、徳川氏の菩提寺。
浄土宗の寺が浄土思想の「厭離穢土 欣求浄土」を家康に説いたというのは物語としてはきちんと成立する。
と、ここまで筆を進めてきたが、徳川ファンにはお馴染みのエピソードすぎて物足りないでしょうな。
それでは、焦点を日本における浄土思想に移しましょうか。
阿弥陀仏信仰は発生地のインドではさほど栄えなかったようだが、中国と日本では隆盛した。
大陸の浄土思想が日本に伝わった後に大きな展開を見たのは、源信(942~1017)の活躍によるところが大きい。
この恵心僧都源信が著した『往生要集』は全体10章で構成され、第1章が「厭離穢土」で第2章が「欣求浄土」と名付けられている。
恵心僧都(えしんそうず=源信)は天台僧で、良源の門下。
基本、平安以降の日本仏教思想展開の元をたどれば、最澄の天台宗がその源流点である。
浄土教・阿弥陀信仰が広まる契機の一つが末法思想で、日本では、1052年から「末法の世」に入るとされた。
あ、時代が前後するけれども、空也上人(903~972)が念仏信仰の先駆者でしたね、失礼。
時代が鎌倉に下がると、法然(1141~1212)の浄土宗と親鸞(1173~1262)の浄土真宗が登場するわけでございます。
鎌倉仏教は端的に言うと、アラカルト信仰なので、浄土宗・浄土真宗は「南無阿弥陀仏」に、日蓮宗は「南無妙法蓮華経」に、禅宗は「座禅」にそれぞれが特化している。
一般民衆には専門的な仏教教学・教理は難解ですから、「念仏を唱えたら極楽浄土に往生できる」という単純明快さは受けますよ、それは。
それにしても、現世で自力で覚ることを目指した釈迦仏教に対して、死後に他力(=阿弥陀仏の力)による極楽浄土での往生を約束する浄土教。
あまりにも違い過ぎる!
お釈迦様が聞いたら「え、なにそれ? そんな教えを説いた覚えはないけど!」と驚嘆すること間違いなし。
と、ここまでにしておきましょう、浄土思想に関しては。
では、再度、「厭離穢土 欣求浄土」に話を戻してと、、、
家康がこの文言に込めた気持ちには何だったのか。
一つの説明は、家臣に「死を恐れずに戦え」と鼓舞したというもの。
別の解釈では、「汚れたこの世を浄土にしようではないか」とのメッセージ、つまりは家康が「戦いのない極楽浄土のような世を実現したい」と願っていたとする。
当ブログには判断がつきませんので、徳川ファンの皆様のご意見を拝聴してみたいものです。
仮に、後者の説が家康の本音だったとしたら、「東照大権現」の称号に相応しい大人物、いや、神様となりますね。
そうなりますと、今回のタイトル「徳川家康は立派なお方でございます!」との整合性がとれるわけでございます。
さて、大樹寺には江戸幕府歴代将軍の位牌が安置されており、それぞれが将軍逝去時の身長と同じだと言われてるそうな。
家康の位牌が159センチ、秀忠のものが160センチ、とんで五代綱吉の位牌は124センチであるらしい。
う~ん、綱吉って小柄だったのかな?
あと、15代慶喜の位牌だけは大樹寺には納められていない。
大樹寺のことも調べたら、いろいろとブログネタになりそうですな。
またの機会にいたしましょう。
それでは、お後がよろしいようで。