『ヨイトマケの唄』や『巨人の星』第10話に思うこと、、、言葉狩りが好きな人たちの心理がわからない!

土方は土方。
日雇い人夫は日雇い人夫。

わざわざ、こんな当たり前のことを書いたのは、美輪明宏さんが亡くなって以降、『ヨイトマケの唄』が大きな話題になっているから。
この唄に登場する「土方」については、有名な話なので皆さんもよくご存じのことだろう。

民放連が、「要注意歌謡曲指定制度」とか「要注意歌謡曲リスト」とかなんとか、、、、
つまりは、民放連なる団体が勝手に自主規制したのが事の真相のようだ。
まあ、上記の制度(?)も1983年版が最後となったらしい。

なぜ、長年にわたって民放連は『ヨイトマケの唄』を事実上の「放送禁止歌」扱いしたのか。
おそらくは、世間の目を気にしたからだ。
ごく一部の日本人から「『土方』は差別用語だ。民放連は差別を助長するのか!」と批判されるのを怖れたのだろう。

この民放連の態度は、一言で表現すると、思考放棄である。
自分たちの頭で「言葉と差別の問題」を真摯に考えずに、ただ「クレームが来ると面倒くさいよな。放送禁止歌扱いでいいか~」程度の感覚であったとしか感じられない。

一度でも、美輪氏の『ヨイトマケの唄』を聴けば、そこに土方に対する「差別」など微塵もないことを実感するはずだ。
民放連の中にも、『ヨイトマケの唄』を放送禁止歌に指定することに反対した人はいただろう。
それでも、組織全体の動きには逆らえなかったのではなかろうか。

ところで、『ヨイトマケの唄』発表当時にテレビ局やラジオ局に「歌詞の『土方』は差別だ!」と非難する声がどの程度届いたのか?
というのは、美輪氏が最初にこの曲をテレビで歌ったとき、様々な環境で苦しむ人たちから「自分たちへの励ましの歌だ」といった投書が2万通もテレビ局に寄せられたというからだ。

日本人全体からみたら、ごく一部の言葉狩りが大好きな者たちが好き勝手に、罪もない言葉に難クセをつける。
その攻撃から身を守るために、過剰に反応・忖度するテレビ・ラジオ・出版社などなど。
いいかげん、こんな理不尽なことがまかり通る状況には飽き飽き、ウンザリなんですけど。

さて、もうひとつの「日雇い人夫」と言えば、常連さんも視聴していたはずの『巨人の星』アニメ版。
その第10話タイトル「日本一の日雇い人夫」が、後に「日本一の父」に改題されたのも知る人ぞ知る話。
結局、この件も「土方」と同様に「日雇い人夫」が差別用語だと騒ぎ立てる連中がいるから、その対応であろう。

本放送では、飛雄馬が「僕の父は日本一の日雇い人夫です」と誇らしく宣言する。
その「日雇い人夫」が、その後(何年後かは不明)の再放送では、無音処理された。
なんだかな、、、

この場面も前後関係を考慮すれば、原作者・梶原一騎氏に差別意識など皆無であることが理解できるはず。
飛雄馬の「日雇い人夫」発言は、今風にいうと「上級国民」の子どもが通う星雲高校の受験面接においてのもの。
つぎはぎの制服を着た飛雄馬に差別的な言動をみせる面接官たちに、父・一徹への尊敬と愛情の気持ちを込めて「父は日本一の日雇い人夫」と堂々と胸を張る。

面接官たちが侮蔑の笑いを見せる中、飛雄馬は「なにがおかしい。聞きたければ何度でも言ってやる。俺の父ちゃんは日本一の日雇い人夫だ!」と毅然と言い放つ。
ここは、蔑視される被差別者(ここでは貧困層の飛雄馬)が、差別者(ここでは富裕層の面接官)に敢然と対峙していると解釈することも可能だ。

このシーンのどこをどう見たら、差別的だと判断できるのだろう?
劇中に「日雇い人夫」という言葉が登場するというだけで、前後関係・文脈を無視して、作品全体を差別的と曲解しているのではないか。
言葉狩りに熱心な者たちの心理・思考回路は理解に苦しむ。

上で「思考回路」としたが、言葉狩り隊は自分の頭で考えているのだろうか。
特定の言葉・表現を見聞きしたら、条件反射的に「差別だ」と脳みそが反応するだけではないのか。
つまり、「思考停止」状態ではないだろうか。

生前の美輪氏は、ある取材者に「局側は御身の安全で自粛してしまった。どこが差別なんですか、と(リスト作成者に)問う気概を持つべきだった。差別はヒューマニストぶっているあなたたちの心の中にあると言ったんですよ」と回答したそうだ。
まことに至言であろう。

さて、当事者である美輪氏の発言を引用させていただいたので、本記事はこのあたりで締めとしたい。
最後になりましたが、美輪明宏さんのご冥福を心からお祈りします。

追記
先日、ノーちゃんとのやり取りの中で『ヨイトマケの唄』が話題に出たことが、本記事作成の契機となった。
それと、祖父が小さな土建屋の社長であったため、土方・日雇い人夫さんたちが身近な存在であったことも、、、