8月にアップした記事で、今東光大僧正が三島由紀夫を信用していなかった事実を紹介した。
その理由は、繰り返しになるが、三島が何の断わりもなく大僧正の作品『稚児』の内容を盗用したからだ。
三島ファンの多くは、この無断引用のことを知らないだろう。
今大僧正と大変親しくしていたのが柴田錬三郎さんだ。
通称「シバレン」の柴田氏も、実は、大僧正に負けず劣らずの毒舌家である。
しかも、今さんと同様、シバレン氏も三島のことを嫌っていたようだ。
柴錬さんが転生輪廻について、ある雑誌編集者と対話していた時に、以下の発言があった。
⇒「三島由紀夫が転生輪廻をテーマにしたあれ書いただろ。何とかいう小説。あんなやつが、また生まれ変わったって、いやらしいったらねえ。また秀才面なんかしやがってさ」
かなり三島が気に食わなかった様子が窺える。
編集者は「そりゃ、なんとも、あのう、、、、」と苦し紛れの応答をするしかなかったりして。
上記引用部分を先日久しぶりに読み返して、思わず笑ってしまった。
今東光大僧正も柴田錬三郎さんも、いわゆる「無頼派」作家だ。
現代の日本を見渡してみても、二氏に匹敵するスケールを持つ小説家も評論家もいない。
まあ、令和にも政権批判に余念がない作家や自称識者、映画監督とかはゴロゴロ転がってはいるが、どなたもこなたも小物感が漂う。
え、「誰のことだよ?」って。
ハハハ、それは常連の皆様のご想像にお任せします。
さて、大正6年生まれの柴錬さんは、壮絶な戦争体験を乗り越えて生還している。
陸軍の衛生兵として乗船した輸送船がバシー海峡を航行中に敵潜水艦の攻撃を受けて沈没。
船底にいた陸軍兵約1600名のほとんどは、輸送船から脱出できず、海の底に沈んでいった。
恐ろしく潮流が速いバシー海峡上で数時間漂流した後、柴田衛生兵は奇跡的に救助された。
まさに、九死に一生!
普通の人間なら恐怖に吞み込まれてしまう極限状況において、柴田氏はただただ「無の状態」だったと語っている。
⇒「だからねえ、そのとき恋女房や母親の顔、故郷の家のことなんか考えていちゃ、だめなのさ。 生の執着は逆に死を招くな。 おれはね六時間後に救われたんだけど、海に漂っている間は、ただボケーッとしていたんだよ。
生もあえて望まず、死も恐れぬ「無」だ。 そのおかげで助かったんだ。 何も考えず望まず、無の状態になれたというのは、やはり文学をやっていたおかげだな」
上記引用も、ある雑誌編集者との対話中の発言である。
さて、そろそろ、柴錬氏の毒舌家ぶりを示す事例を提示しないと、羊頭狗肉になってしまう。
故田中角栄氏が首相時代に、日中国交回復のため奔走し、大陸に渡った際に以下の漢詩(?)を披露したという。
国交途絶幾星霜
修好再開秋将到
隣人眼温吾人迎
北京空晴秋気深
この角栄氏が揮毫した漢詩は、柴錬氏に言わせると「幼稚というもおろかなしろもの」だという。
柴田さんの指摘を箇条書きにすると
*韻も踏んでいなければ、平仄(ひょうそく)を合わせてもいない。
*「交」「秋」「人」という字が二つずつ入れてある滅茶苦茶ぶりには、開いた口がふさがらない。
*「北京空晴」のところは、角栄氏は「北京の空は晴れて」のつもりであろうが、漢詩としては「北京空(むな)しく晴れて」としか読めない。
つまりところ、角栄氏の漢詩(?)は、柴錬さんの眼にはなんとも珍妙なものに映ったのだ。
柴田氏は田中元総理だけではなく、「当時、この白痴の漢詩を国辱だと報道した新聞が、一紙でもあったか」と昭和のメディアも斬り捨てている。
没後も一定の人気を誇る田中角栄氏。
その生前、しかも全盛時代に「臆面もなくよくぞ、あのような愚劣下等、無茶苦茶な漢詩を揮毫したものである。 慚死すべき行為であった」と筆誅を加える柴田氏には圧倒される。
深い学識と教養に裏打ちされた毒舌だからこそ、令和8年に読み返してみても、我々の心を打つのであろう。
今日、自民批判に専念したり、高市政権を罵倒する作家・評論家・映画監督・芸人の言葉が、令和の若者にあまり支持されないのは、彼らの発言がただ感情的で、浅薄なものだからだと思う。
柴錬さんの毒舌は、親しくしていた後輩作家にも向けられる。
仲のよかった遠藤周作氏が作品中で「たそがれの陽光がさんさんと降りそそいだ、、、、」と綴った際には、以下のように指摘した。
⇒「『たそがれ』は『黄昏』である。 あたりが昏(くら)くなって、むこうからやってくるのは、一体『誰(た)そ彼(かれ)』であろうか、と目をこらす ー その場合、どうして、『陽光がさんさんと降り注ぐ』のであろうかねえ」
語源から「たそがれ」を解説した、論理的な批判である。
遠藤氏が、その後、どのような対応をしたのかは知らないが、、、
ということで、本記事は「毒舌家としての柴田錬三郎さん」の巻でした。
常連の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます。