今回も『豊臣兄弟!』を楽しみつつ、これまで思ったことなどを、、、

本能寺の変で信長が去ってしまいました。
わりと気に入ってましたよ、小栗旬の信長。

秀吉と秀長の兄弟が物語の中心になるから、信長の足跡をかなりカットするのはやむを得ないところでしょうが。
長篠の合戦(1575年)もなし、天目山の戦い(1582年)もスルー。
ちょっと寂しい思いをしたのは当ブログだけでしょうか。

てか、『豊臣兄弟!』は武田ファンにとっては、ガッカリの連続では?
信玄は餅をのどに詰まらせて頓死するし、グッスン!

長篠合戦における、例の鉄砲隊三段構えは絵になるんですけどね。
その連続一斉射撃の場面だけでも、数十秒ほど入れてもよかったのでは。
まあ、この三列鉄砲隊戦術は後世の創作だとの説もありますが、劇中では映えますからね。

ちなみに、西洋で同様の戦法が登場するのは、長篠の戦いから100年以上も後のこと。
1691年に、ハプスブルク家がオスマントルコと戦った際に初めて使用されたそうです。
ですから、長篠の火縄銃三段撃ちが史実なら、信長の先進性は世界最高レベルと言えますです。

あと、比叡山焼き討ちは描かれたものの、対一向一揆や本願寺との戦いも全く触れていなかったような。
仕方ないですか~、秀長メインに話を進めていくのが今年の大河の狙いだから。
でもね~、秀長が長島一向一揆攻め(1574年)で先陣の一人だったのは、資料(『信長公記』)にもあるんですけど。

そうそう、信長と宣教師ルイス・フロイスとの絡みも一秒も出てきませんでしたね。
周知のとおり、信長は1569年にフロイスにキリスト教の布教を許しておりまする。
いくら大河ドラマとはいえ、時間枠には限りがありますから、題材の取捨選択は当然で、本作はあくまで『豊臣兄弟!』ゆえ、信長の対キリスト教政策も割愛。

急に話を変えますが、今回の家康像は個人的にはアリだと思います。
自分が毒を携帯していたからこそ、鯉料理に仕込まれた毒の匂いを嗅ぎつけたシーン。
お前は犬か、とツッコミたくなりましたが、松下洸平(家康)さんの演技はなかなか良かったです。

考えてみたら、家康さんは正室と嫡男を犠牲にしております。
劇中では、その悲劇描写に一秒も費やされてはおりませんが。
どうなんですかね、実は妻と息子が武田方と通じていたと指摘する史家もいますけど。
この辺は、家康ファンの方々のご意見を拝聴したいものです。

家康のことを悪く言う人もいますけれども(って、このブログだろ、ハハハ!)、その人生を考えるとね、、、
幼い頃から織田氏や今川氏の下で人質生活を送るわけですから、性格がひねくれるのも、、、おっと失礼、精神的に逞しく成長するのは当然のこと。
散々、辛酸をなめて耐えに耐えた人物ですから、天下を取り、最後は畳の上で大往生したのも天からのご褒美、阿弥陀様のご加護のおかげでしょうか。

あ、思い出した、シバレンさんの小説の中に珍説が紹介されていたことを。
本棚を隅から隅まで探して見つけましたので、以下に引用します。

⇒「戦乱の世にあっては、敵将の嫡子を人質にした場合、その子種を根絶やしにするために、しばしば、その男根を切断して、男子失格せしめた例は少なくない。
徳川家康は八歳より十九歳まで、今川家に、人質となっていたが、その間に、羅切の刑を受けた、という」

本当に、当時から、そのような噂があったのか、それとも柴田錬三郎氏の想像力のたまものなのか、、、
一般に、作家さんは上手な嘘をつきますからね、なんとも。
このあたりに詳しい方がおられましたら、ご教授ください。

柴錬さんの小説中では、家康の実子とされる男女はすべて、家康の影武者の子だとされております。
なんだかな~。

ということで、なんの脈絡もなく、ただの感想やシバレン作品からの引用を並べましたが、話が下半身に移って来ましたので、この辺で終了といたしましょう。
本記事も最後まで読んでいただき、ありがとうございます。