第二弾! 多文化から「日本人は無神論者なのか」と不思議がられるぐらいが丁度いい?!

まずは、以下の5項目に目を通していただきたい。

*聖書には一切の誤りがない
*イエスは処女から生まれた
*イエスは肉体的に復活した
*イエスの死は贖罪の意味をもつ
*イエスの奇跡は真正だ

以上は、アメリカのキリスト教原理主義者の一部が本気で信じていること。
あくまで「一部」ではあるものの、聖書の記述を全面的に信じる人々の存在こそが一種の「奇跡」だと非キリスト教徒の私は感じる。

しかし、冷静に考えてみれば、浄土宗系統や日蓮宗系統の教義も西欧人から見れば、一種のトンデモかもしれない。
西方極楽浄土の主である阿弥陀如来が、「南無阿弥陀仏」と唱える信者を救ってくれるという設定が浄土系の教え。
一心に「南無妙法蓮華経」を口にすれば、一切の苦しみから解放され現世利益を得られるとするのが日蓮系の教義。

話をアメリカに戻そう。
キリスト教原理主義者は、1940年代あたりから「福音派」を名乗り始め、70年代後半から強力な政治力を発揮するようになる。
この福音派の大きな特徴の一つは、終末論を信じていること。

キリスト教の終末論とは、端的に言えば、イエスの復活と再臨による最後の審判のことだ。
そして、アメリカの福音派はキリストの再臨が近いと信じつつ、自分たちを神の側に立つ善の力と見なしているという。

2022年のある調査によると、米国人の4割もが世界が終わりつつあると信じているそうだ。
米国内の福音派はアメリカの人口の25%近くを占めており、その6割以上が世界が終末に向かっていると感じているとのことだ。
現代の政治的、社会的な対立・分断は、終わりが近い世界における「善」と「悪」の戦いの一部だと福音派は理解している。

言うまでもなく、福音派は2016年以降、トランプ陣営の重要な支持基盤となっている。
福音派は白人の特権を擁護し、国際社会がいくら批判しようが、イスラエルの立場を弁護する。

福音派に関する上記の情報は、『福音派 ー 終末論に引き裂かれるアメリカ社会』から引いてきたものだ。
著者は加藤嘉之氏で、中公新書の一冊である。
現在、少しずつ読んでいるのだが、自分が福音派についていかに無知であったかを思い知らされる内容だ。
と同時に、福音派の世界観が現代のアメリカにとてつもない影響力を与えている事実に驚愕し、戦慄している。

さて、ここからは、専門家の意見から離れて、ブログ主の勝手な印象や意見を述べてみたい。
福音派は聖書の記述の一字・一句を信じているとのことだが、これが本当なら、聖書の「ヨハネの黙示録」19章の内容が近い将来に現実化すると思っているのであろうか。

この黙示録19章にある描写を少しずつ抜粋してみる。(日本聖書協会の新共同訳による)

⇒「そして、私は天が開かれているのを見た。すると、見よ、白い馬が現れた。それに乗っている方は、「誠実」および「真実」と呼ばれて、正義をもって裁き、また戦われる。 、、、、、、、

⇒「あの獣と、地上の王たちとその軍勢とが、馬に乗っている方とその軍勢に対して戦うために集まっているのを見た。しかし、獣は捕らえられ、また、獣の前でしるしを行った偽預言者も、一緒に捕らえられた。 、、、、、

⇒「獣と偽預言者の両者は、生きたまま硫黄の燃えている火の池に投げ込まれた。残りの者どもは、馬に乗っている方の口から出ている剣で殺され、すべての鳥は、彼らの肉を飽きるほど食べた」

キリストが白馬に乗って、再臨し、悪の軍団を滅ぼす情景を描いたものであろう。
なんだか、映画かアニメにでもなりそうな場面だ。
物語としては面白いかもしれないが、非キリスト教徒で非福音派である当ブログには、到底受け入れることのできない世界観・終末観である。

しかし、21世紀のアメリカには既述の終末論を信じている人々が数千万人も存在するというのも、厳然たる事実だと思うとき、つくづく、宗教の持つ「魔力」に圧倒される感がある。
自分が、信者ではないから「魔力」と断じたわけで、福音派の人たちにとっては、この上ない「魅力」であり「真理」であり「正義」なのであろう。

彼らから見れば、私はただの「世俗的」な存在なのだ。
それでいい。
福音派から「世俗的」だと蔑視されてもかまわない。
こちらは、彼らを「狂信的」だと感じるだけだ。

宗教全般には興味があるから、時折、関係の資料や書籍に目を通す。
しかし、特定の宗教や宗派を感情で信仰することは断じてない。
昭和のオヤジとして、これまでずっと、この立ち位置をとってきた。
おそらく、今後も変わることはないだろう。

多文化、とりわけ、一神教側から「日本人は無神論者なのか、、、ヘンですね~」と言われるぐらいがちょうどいい。
そもそも、軽々しく「多文化共生こそが素晴らしい」などの世迷言をつぶやくほど甘ちゃんではないつもり。
お後がよろしいようで。

追記
特定の宗派にハマっていないからこそ、現世利益の「おまじない」は好きだ。
毎日、古神道咒歌を唱えたり、護符を拝んだりしている。
遊び心というか、「そのウソ、ホント?」の姿勢は、いつまでも持っておきたい。
そのおかげか、先日も、知り合いがふらっと訪ねてきて、庭で実ったという甘夏をどっさり置いていってくれた。
ありがたい、ありがたい。