戦国モノは素人でも好き勝手言えるからいいですね! 今回も『豊臣兄弟』ネタです。

好き勝手言える、と書いたものの、今回の主人公・秀長に関しては資料が少なく、兄の秀吉と比べれば「地味」なので知名度が低いようだ。
秀吉の甥・秀次は日本史の教科書にも登場するようだが(⇐ここ、自信なし)、秀長の名前は『豊臣兄弟』で初めて知る人もいるだろう。

秀次といえば、4月26日放送回では、万丸(=後の秀次)が養子という名の人質として宮部継潤のもとへ引き取られる。
我が子を人質に出すのを頑強に拒む、万丸の母を演じる宮澤エマの演技が素晴らしかった。
この母子の別れから、歴史ファンなら即座に「結局、万丸は叔父の秀吉から切腹を命じられるんだよな」と脳内で秀次の最後まで連想してしまう。
ホント、戦国モノは先が読めすぎて、それがいいのか悪いのか、、、

まあ、冒頭で秀長は人物像が不透明だと書いたが、実は秀吉ですら、出自からして結構謎の人物だ。
戦国の大スターだから、様々な研究書・ドラマ・小説・映画等を通じて、著者・作者や脚本家が描く秀吉像をもとに、戦国ファンがそれぞれ自分なりのイメージを形成していく。

秀長について、歴史好きの磯貝老師は「1985年に堺屋太一氏の小説『豊臣秀長 ある補佐役の生涯』が売れてから、ようやく秀長が戦国ファンの間で認知されるようになったのでは」と語る。
おそらくは、老師の言う通りではなかろうか。

当ブログも秀長に関してはほとんど知らないので、少しは勉強せねばと思っているところ。
『豊臣兄弟』では、秀吉と秀長を同父兄弟としているが、この点も歴史マニアには異論があるところかもしれない。
今回は、秀長の父親も木下弥右衛門とする、「実父」設定のようだ。
史料によっては、筑阿弥という継父が登場するので、96年の大河『秀吉』では秀長はこの継父の息子として描かれていたと思う。

あれ、そういえば、96年の『秀吉』でも秀長は結構、出番があったような、、、、
30年前の話だから、記憶があやふやだな~。
この辺は、また、磯貝老師から情報を仕入れないと。
いいかげんだな、当ブログは、ハハハ。

とにかく、本記事で言いたいことは、戦国ものは素人でも好き勝手にコメントできるということ。

~ 歴史に詳しくない層にはわかりやすいのかもしれないが、重厚さがない
~ テンポがよくて楽しめている。ただ、寧々がちょっと貧相かな
~ 秀長を主人公にした意味が生かされていないのでは
~ 秀吉をただの信長崇拝者、秀長を秀吉の腰ぎんちゃくに描いているのが物足りない

以上のような感想を視聴者が遠慮なく言えるのが、戦国を舞台としたドラマならではのこと。
秀吉や秀長の実像を知る者はいないのに、各自が「自分が思う秀吉・秀長」や「自分が思う戦国時代」を頭の中で創り上げて、我こそは正しいという前提で自説を述べるわけ。
研究者ではなくても、詳しい人は相当マニアックな知識を持っていたりする。
自国の歴史に造詣が深いことは、大変素晴らしいこと。

数百年前の人物や史実に関して、あ~だ、こ~だと説明したり、論評するには、それなりの知識が必要。
当然、資料に当たったり書籍に目を通すことになる。
戦国モノを自由闊達に語る行為は、大げさに言えば、日本人の知的レベル向上に貢献しているのかもしれない、って知らんけど。

では、当ブログも感じるところをひとつ。
比叡山焼き討ちに関する描写・演出はわりとよかった。
事前に、信長が延暦寺に対して条件を出し、その回答を待つも、叡山側が無視したから、一気呵成に壊滅させた。
この流れは、ほぼ史実通りであろう。

天台座主覚恕の近くに、画面が暗くて見えづらかったが、女性が侍っていたシーンも覚恕の生臭ぶりを印象づける効果あり。
秀吉が信長の命に背き、できるだけ多くの僧や善男善女を逃がした事実も描いた脚本を評価したい。
秀吉は、比叡山に対して一種の親近感・愛着を持っていたのではないだろうか。
この点は、以前に記事(=『比叡山に親近感があった秀吉、焼き討ちから僧を救う』)にしたことがある。

とまあ、勝手なことを並べながらも、『豊臣兄弟』を楽しく視聴している。
お市を救い出そうと必死な柴田勝家(=山口馬木也さん)の荒々しくも実直な振る舞いに「勝家さんよ、もうすぐ大好きなお市さまと夫婦になれるよ」と視聴者の多くが心中で呟いているだろう。
と同時に、戦国ファンなら誰でも、その後、二人に悲劇が訪れることを知っている。

つくづく、戦国モノは先が読めすぎる。