マハリク マハリタ ヤンバラヤンヤンヤン、、、、
テクマクマヤコン テクマクマヤコン、、、、
ナンマンダブ ナンマンダブ ナンマンダブ、、、、
ナンミョーホーレンゲーキョウ ナンミョーホーレンゲーキョウ、、、、
こうして並べてみると、「南無阿弥陀仏」も「南無妙法蓮華経」も呪文ぽい響きを持つ。
いや、「ぽい」ではなく、実際に念仏も題目も呪文である。
なぜなら、「南無阿弥陀仏」は極楽浄土への往生を約束する言葉であり、「南無妙法蓮華経」は唱える者を苦悩から救うという設定だからだ。
口にすれば、不思議な効力を発揮する定式化した言葉を呪文という。
アブラカダブラ、開けゴマ、テクニカ・テクニカ・シャランラ~、、、、
ちなみに、「シャランラ~」は魔女っ娘メグちゃんでお馴染み。
放送当時、メグ派とノン派に分かれていたらしい、、、いや、今風には「メグ押し」「ノン押し」と言うべきか。
ここからは、少しお堅い話に入るが、念仏は浄土宗系統で題目は日蓮宗なので、両者とも鎌倉仏教。
時代を遡れば、平安仏教(≒天台、真言)は奈良仏教(=南都六宗)の対抗馬として台頭し、やがては南都側を凌駕する勢力を誇るようになった。
その天台と真言も、平安末期から鎌倉時代に伸長した新興仏教教団からすれば、「旧仏教」だ、と一般にはみなされている。
さて、教科書的な理解では、新旧仏教は以下のように対比されるのが定番であった。
*旧仏教⇒密教的・貴族的・権力癒着・前近代的、、、、
*新仏教⇒密教否定・民衆的・反権力的・近代的、、、、
概説書では、上記のような図式を用いることが多々あったし、左派・リベラルの学者もこの対比が大好きである。
最近では、この鎌倉新仏教を高く(?)評価する傾向は、以前ほど強くはないようだが、、、
ここで、前掲の対比中の「旧仏教⇒密教的VS新仏教⇒密教否定」に目をやると、「あれ?」と違和感を覚える常連さんも多いのではないだろうか。
浄土宗の祖である法然も、日蓮宗の祖の日蓮も比叡山延暦寺に学んでいる。
周知のとおり、天台宗は八宗兼学、今風に言えば仏教の総合大学。
当然、密教も包含しており、天台宗の密教は「台密」と呼ばれている。
法然も日蓮も台密を学んでおり、両名ともその影響を受けながら、最終的には「念仏」と「題目」に特化したといえるだろう。
その意味では、上記の対比のように「鎌倉仏教は非密教的だ」と主張するのは、皮相的ではないだろうか。
ただし、念仏を唱える行為自体は法然のオリジナルではなく、昔の中国から比叡山に伝わったもので、それを法然が選び取った。
一方、題目は日蓮が念仏に対抗して生み出したものとされる。
正確にいえば、「念仏無間」と罵倒したぐらいだから、日蓮にとっての念仏と浄土宗系は打倒すべき敵であった。
念仏も題目も呪文だと当ブログが断定すると、専門家は待ったをかけるだろう。
密教における真言(=呪文)と念仏や題目の違いを何点か指摘するはずだ。
それは十分承知のうえで、あえて、念仏も題目も形式的、機能的には呪文だといいたい。
形式的とは、真言も念仏も題目も一定の文言を唱えるという意味。
機能的とは、三者ともに何らかの効能(厄除け・招福・極楽往生・現世利益など)を謳っているという点。
鎌倉時代の庶民のほとんどは識字能力が無かったであろう。
長編のお経を自分で読むことなどできるはずがない。
無学の信者たちは漢字を読めないから、「なむあみだぶつ」や「なむみょうほうれんげきょう」を音として耳にし、口から出したと思う。
当時の善男善女にとって、「ナンマンダブ」は極楽往生を約束してくれるありがたいことば、つまり呪文に他ならない。
日蓮を慕う文盲の大衆は、苦悩を消し去る不思議なことば「ナンミョーホーレンゲーキョウ」を唱えながら、この呪文を授けてくれたことに感謝したのだろう。
再度、書きたい。
専門家や仏教者は念仏や題目は呪文とは異なると説明するだろう。
しかし、鎌倉時代の漢字が読めない大衆が極楽往生や釈迦の功徳を求めて「ナンマンダブ」もしくは「ナンミョーホーレンゲーキョウ」と繰り返し、繰り返し唱えるとき、それは呪文を口にするのと同じことだと思う。
その呪文の魔力に憑りつかれたからこそ、一向一揆において数多の信者たちが「ナンマンダブ」の力を信じ、戦国大名の大軍相手に一歩もひかず、最終的には命を散らしたのだ。
急に時代を変えて、申し訳ないが、念仏のことを考えると常に一向一揆を連想してしまう。
天台密教が法然や日蓮に与えた影響については、また記事にするかもしれない。
最後に、既述の新旧仏教の対比を見れば、左派がこういう図式が好きな理由は、常連さんにはピンとくると思う。
このあたりも、機会があれば、ブログネタにしたいなと思いつつ、、、
追記
人は皆、現世利益を願い「もし、かなうのなら」と神秘の力にすがろうとする。
もちろん、ブログ主も毎日、朝夕に古神道秘咒を唱えながら「幸多かれ」と念じている。
そのおかげか、最近は体力も気力も充実し、快食・快眠、つい昨日もアイス「ガリガリ君」で当たりが出るなど嬉しいことが舞い込んでくる。
写経と違って、短時間で終わるし、費用は一切かからないのが利点。
今後も今東光大僧正の教え「感情で信仰するな。常に、理信を持て」を肝に銘じておきたい。
ん、大僧正から「古神道の秘咒じゃなくて、天台の教えを勉強しろ!」と叱られるかな?