またまた、性懲りもなく、難関大日本史入試問題紹介の回です。
最近、BOOKOFFで仕入れた日本史問題集が休肝日の読書ネタになっています。
ん、それって読書といえるのかな~?
深く考えずに、早速、第一問とまいりましょう。
*桃山文化という呼称は、( )が晩年に居城とした( )の地が、のちに桃山とよばれるようになったことに由来する。
本記事も、大学名は出しませんが、上の問題は関東圏の超難関私大のもの。
ただ、この第一問はそれほど難しくはないと思いますが、、、
常連の皆さん、答えが頭の中に浮かびましたか?
一つ目の空欄は、もちろん、豊臣秀吉です。
二番目のカッコは大丈夫ですか?
はい、正解は伏見です。
二問目です。
*( )年の刀狩令では、没収した武具を( )寺の大仏建立に使用するとした。
秀吉の刀狩令についての質問ですね。
これは、関西の有名私大の問題です。
難度は中の上といったところでしょうか。
正解は、、、、、
1588年と方広(寺)です。
方広寺といえば、あの「方広寺鐘名事件」のほうが認知度は高いでしょうか。
でも、時期的には刀狩が古いのですが。
お次とまいりましょう。
*武田氏が滅亡した戦いは( )である。
さてさて、この問題はどうですか。
簡単だと思うと、案外、足元をすくわれたりなんかして、、、、
などと書くと、それがヒントになってしまいそうですね。
皆さんの予想する解答は、、、、
答は、天目山の戦いです。
長篠の戦いではありません、念のため。
武田氏は長篠合戦で大敗を喫していますが、それでも「滅亡」はしておりません。
1582年の天目山の戦いで滅びてしまいます。
第四問と第五問は、例の天正遣欧使節に関する問い。
二つ並べますが、五問目は難度高めですよ。
*天正遣欧使節の正使は伊東マンショと千々和ミゲル、副使は中浦ジュリアンと( )である。
*天正遣欧使節は、ローマ教皇( )に謁見した。
天正遣欧使節については、派遣した大名を答えさせる問題も頻出です。
四人の少年の一人が空欄になっているわけですが、皆さん、憶えていますか。
最後の一人の名前は、原マルチノです。
結構、歯ごたえがありますよね。
それよりもハードルが高いのが、第五問のローマ教皇の名前。
当ブログは、完全にお手上げでした。
つい、「こんな問題を出すんじゃな~い!」と文句の一つも言いたくなりますよ。
さて、この教皇とは、、、、
グレゴリウス13世(グレゴリオ13世)でございます。
ホント、難関私大はマニアックな出題で受験生を悩ませます。
ついでですから、少年使節を派遣した大名をネタにした四択問題を以下に。
*天正遣欧使節を派遣した大名ではないのは誰か。
1 大内義隆 2 大友義鎮 3 有馬晴信 4 大村純忠
ローマ教皇のもとに少年使節をおくったのは、いわゆる「キリシタン大名」ですから、1~4の中からキリシタン大名ではない人物を選ばせるという問題です。
四人の大名の中で、キリシタンではないのは、、、、、
そう、大内義隆です。
キリシタン大名の三名は結構有名だし、大内氏の正統は大内義隆が1551年に自害し、滅んでますので時代が少し異なります。
このあたりは、大内義隆を裏切った重臣陶晴賢(すえはるかた)の名前も試験に出ますので要注意、って、ここの常連さんに受験生はいないよ!
とセルフ突っ込みをいれたところで、信長に関する問題を二つ。
*織田信長のおこなった検地は、( )とよばれる申告の形式であった。
*織田信長は、1567年には美濃の斎藤氏に勝利して、広大な( )平野を支配下においた。
検地といえば、秀吉の「太閤検地」の方が有名ですが、信長も支配下においた土地で検地をおこなっています。
これは、指出検地(さしだしけんち)といい、土地の等級・面積・作人などを領内の領主あるいは名主に自己申告させる形式でした。
最終問題の解答は、濃尾(平野)です。
東海地区に住んでいる方には簡単すぎましたか。
あと、この問題だけ某国立大学のものです。
看板に偽りで、申し訳ありませんでした。
それでは、本記事はここで締めたいと思います。
常連の皆さん、最後まで読んでいただきありがとうございます。