新朝ドラ『ばけばけ』は、なかなか面白いし、今後のストーリー展開にも期待している。
モデルとなっているのは、あの小泉八雲(=ラフカディオ・ハーン)と愛妻のセツだ。
ドラマでは、小泉セツは「松野トキ」で、まだ登場していない八雲の劇中名は「レフカダ・ヘブン」という。
本記事のタイトルを見て、知っている人はすぐに「まあ、大体何を書きたいのかすぐにわかるけどね」と思ったことだろう。
そうです、あなたの予想通りです。
なんのヒネリもありませんですよ。
さて、『ばけばけ』でヒロイン「トキ」を演じるのは、女優の髙石あかりさん。
この役者さんのコミカルな顔芸がなんとも魅力的だ。
トキと友人二人が、松江の八重垣神社で恋占いをする。
神社内の「鏡の池」に、硬貨をひとつ乗せた紙を浮かべて、すぐに紙が沈むと縁談が早く来て、沈むのが遅いと縁遠い、という占い方式。
また、浮かべた場所から近くで沈むと近くに住む人と縁談がまとまり、遠くで沈むと遠方の相手と結婚するとされている。
では、皆さんの予想通り、ここで『古事記』が登場。
そう、この八重垣神社はスサノオノミコトとクシナダヒメを祀っている。
蛇足ながら、スサノオノミコトは天照大御神の弟である。
スサノオノミコトは、一目ぼれしたクシナダヒメを救うために、恐るべき大蛇を倒すことになる。
その巨大な怪物が、あのヤマタノオロチ。
切り刻まれたオロチの尾の中から出てきたのが、あの草薙の剣。
って、「あの」が多いよ!
ヤマタノオロチを退治したあとに、宮をつくるのにふさわしい場所をさがして、出雲の須賀(すが)の地を訪れた際に「ここに来たら、なんだかすがすがしい気持ちになった」とダジャレを言うスサノオノミコトであった。
これ、冗談ではなく、『古事記』にちゃんと書いてあること。
そして、スサノオノミコトが須賀の宮を造営した時に、その地から雲が立ち上ったのを見て、歌ったのが
「八雲(やくも)立つ 出雲八重垣(いずもやえがき) 夫妻(つま)隠(ご)みに 八重垣造る その八重垣を」という歌であり、これが本邦初の和歌だとされている。
もちろん、スサノオノミコトはクシナダヒメと、この須賀の宮に隠るわけでございます。
と、ここまで来ると、すべてがストンと理解できるわけで、、、
小泉八雲の「八雲」は和歌中の「八雲」にちなむもの。
八重垣神社の「八重垣」は和歌にある「八重垣」からきたもの。
八重垣神社の主祭神がスサノオノミコトやクシナダヒメであるのは、『古事記』の記述にある二柱(=二神)の故事を思えば、きわめて自然なことだ。
日本人は、朝にテレビドラマを観るだけで、『古事記』の世界に触れることができる。
わずか15分間の娯楽を通して、自国の文化遺産の素晴らしさを再認識する機会が得られる。
このような事実は、当たり前すぎて、かえって意識していない日本人もいるのではないだろうか。
言うまでもなく、『古事記』の成立が712年。
千数百年の長きにわたり、この叙事詩は読み継がれてきた。
しかし、スサノオノミコトとクシナダヒメの物語の舞台となった時代は、それよりもはるかに以前のことであろう。
もちろん、二千数百年前なのか、三千年以上昔のことなのか、もっと時が下がって約二千年前ぐらいの話なのか、誰にもわからない。
学者の中には、「ただの神話だ」と主張し、記紀の内容を一方的に否定する者もいる。
当ブログは、一部の右翼のように『古事記』や『日本書紀』の記述を全面的に信用しているわけではない。
それでも、最初は口伝えであった神話・記録・伝承・伝聞などが、後に文字化され、8世紀に『古事記』や『日本書紀』として大成された事実こそが、豊饒な日本文化の例証であると考えている。
先日、『ばけばけ』のヒロイン松野トキ(髙石あかり)が八重垣神社の鏡の池で、恋占いをする場面を見ながら、頭の片隅には「スサノオ、クシナダヒメ、ヤマタノオロチ、、、、」などが浮かんでいた。
このような体験は、アメリカ人にはかなうまい、わずか二百数十年の歴史しか持たない国に生まれたのだから。
一日の始まりから、自国の古い歴史と文化の薫りに触れる機会を与えてくれるのが、新朝ドラ『ばけばけ』だ。
今後の展開、特にレフカタ・ヘブン(モデルは小泉八雲)の登場が待ち遠しい。
NHKさん、期待してるよ。