今回の衆院選前に、コメンテーターだか識者(?)だかが「若者には最低でも、右派・左派・保守・リベラルの違いぐらいは理解したうえで投票してほしい」とか発言していた。
しかし、これは「言うは易く行うは難し」だと思う。
なぜなら、歴史用語としての「右翼・左翼」と現代の用法が必ずしも一致していないし、それぞれの定義が人によって異なることもあり、線引きが難しいことが多いからだ。
*歴史用語としての右翼と左翼
フランス革命時代の議会で、議長席から見て右側に保守派が座り、左側に急進派が座ったのが由来。
ここから、保守派を「右翼」、急進派を「左翼」と呼ぶようになった。
周知のとおり、フランス革命が凄惨な流血地獄と化したのは、左翼が急進的な改革を推し進め、敵も味方も大量殺戮したからだ。
つまり、左翼とは歴史に登場した時から暴力・流血が大好きな集団である。
*戦後日本での用語
大雑把に言うと、戦後からソ連崩壊までは、日本の共産党や社会党などの左翼を「革新」勢力と呼んでいた。
また、「進歩派」とか「進歩的」なる用語もよく目にしたものだ。
例えば、「進歩的文化人」という語が頻出した時代があったが、要は「左翼文化人」と読み換えればいい。
左翼・革新政党が「この世の楽園」だと称揚していた、旧ソビエトや北朝鮮が実はこの世の生き地獄であり、収容所国家であることが白日の下に晒されて以降、日本の左派は「革新」という用語を忌避し始め、「リベラル」と自称するものが現れてきた。
と、ここまでキーを打ってきたものの、令和の若者の90%以上が「つまらん!」と吐き捨て、離脱する内容だと思う。
まあ、常連の皆さんも「何を今さら」と感じましたら、ここでストップしてください。
*本来の「リベラル」と日本の左派のいう「リベラル」
リベラル(liberal)の本来の意味は、「自由主義の」「自由主義者」あたりだ。
ところが、前述のように、冷戦終結後から、日本の左翼陣営で「左翼・革新・進歩派」と呼ばれるのを嫌う一群が、自らを「リベラル」と称するようになり、今日ではこの用法が定着している。
左翼陣営の一大勢力である、朝日新聞は『就活ニュースペーパー』という記事の中で、共産党・旧立憲民主党・社民党を「リベラル」と分類している。
この実例からも、1990年代以降、日本における政治用語としての「リベラル」は「左翼」と同一視していいだろう。
ここで、問題なのは、リベラルが「自由主義の・自由主義者」を意味するのか、「左翼」の代替なのかを聞き手が判断する必要があることだ。
令和の若者が、お堅い文章を読んだ時に遭遇する「リベラル」がどちらを代表しているのか、判別しかねる場合もあるだろう。
本当にもう、「左翼」の方が分かりやすくていいのに。
当ブログは、共産党は極左、社民党は左翼、旧立憲民主党はマイルド左翼と頭の中で分類している。
若者の政治離れの一因は、政治的スタンスを表す用語の煩雑さと意味の不透明さにあると思う。
*保守・右翼についても少々
先述の通り、歴史的には急進的な改革を警戒する「保守派」が、議会の右側(=右翼)に座を占めた経緯から「右翼」と呼ばれたのが出発点。
だから、もともとは、保守と右翼は同一であろう。
しかし、保守派の中にも様々な立場・温度差が生じるのは当然。
このため、「保守」と「右派」の違いを明確にしたい人々もいれば、二者はほぼ同じだと見なすものもいる。
これが、「リベラル」の場合と同様、時に誤解や混乱をもたらす。
だから、令和の若者が「なんだか、面倒くさいな、どうでもいい」と反応するのも当然だろう。
ちなみに、当ブログは「保守」を自認しているが、大体は以下のような立場だ。
⇒日本の伝統や文化・習慣を尊重し、急進的な改革は望まないが、現実を改善する漸進的(≒段階的な、緩やかな)変化の導入には反対しない。
経典(=マルクス思想)に従う左翼とは大きく異なり、歴史に教訓を学び、先人の知恵や自らの常識(=知識+判断力)に基づいて是々非々の判断を行う。
次に、当ブログが「右翼」的と見なすのは、以下のような思考・行動様式である。
⇒日本の歴史・文化、日本人を理屈抜きに美化する愛国主義であり、「日本が最高!日本人は世界一素晴らしい!」の思いが強すぎるあまり、時に独善的な言動をとる。
心に思い描く「理想の日本像」を否定する者に対して、排他的・攻撃的な態度を見せることも多い。
要は、右翼も左翼もよく言えば「理想主義的」、換言すると「狂信的」な面が強いとブログ主は感じる。
つまり、右翼思想と左翼思想は多分に宗教的であり、一方の保守は教祖や経典を持たない思想だ。
また、何度か別記事中に書いたように、そもそもマルクス思想はキリスト教の亜種である。
*ついでに、「ナショナリズム」について少し
この言葉は、「民族主義」とか「国家主義」とも呼ばれている。
国家や民族の独立、自決、統一などに最大の焦点を当てる立場だと考えていいだろう。
当ブログの印象では、幕末の尊王攘夷運動や明治の富国強兵政策の根底に渦巻いていたマグマがナショナリズムだ。
この話は長くなりそうなので、ここで切り上げる。
*定義次第であり、語る人の立場・視点による
朝日新聞という国賊からみれば、高市政権は「右派色の強い」性格なのだろう。
しかし、当ブログは高市氏は「保守」派だと思う。
極左の目には、高市内閣の政策は「ナショナリズム」に基づく「極右」的なものに映るのだろう。
逆に、ガチ右翼からすれば、高市氏の態度は「生ぬるい」のかもしれない。
◎おわりに
今回、「左右・保守・リベラルとはなにか」について、ごく大雑把に概観してみた。
ほんの上っ面をなでただけの記事であり、令和の若い人たちには退屈な内容だと思う。
ん、そもそも、常連さんしかアクセスしないな、このブログ。
まあ、これまで自分の立場を「保守」としながら、一度も定義を紹介していなかったので、その意味ではいい機会だったのかな?
詳しくは書かないが、実は、保守や右翼は定義づけが結構、難しいところがあり、今回の説明では伝わらない部分も多い。
一方、左翼は比較的簡単で「マルクス教の信者」の8文字でほぼ本質をとらえることができる、って左翼が怒ったりして、ハハハ。
それと、今回はあえて「中道」には触れていない。
この続きは、第二弾で、、、って第二弾があるの?