岡谷修行僧はいわゆるエリートサラリーマンだ(って、表現が古いな)。
もとい、岡谷修行僧はバリバリの企業戦士である(う~ん、これも陳腐だな)。
気を取り直して、、、
岡谷修行僧は、名前を出せば誰もが知る、某有名大企業で辣腕を振るう管理職だ。
これもイマイチだが、そろそろ、話を先に進めないと(って、なに、一人で遊んでるんだか、、、)。
実は、岡谷修行僧は地元や近隣の自治体が主催する「写経教室」の講師としての顔も持つ。
日々、『般若心経』を読誦、写経する岡谷修行僧にはうってつけのボランティア活動だ。
今回は、とある市民講座での質疑応答の様子を一部紹介しよう。
(できましたら、今回の記事を読む前にネットなりで『般若心経』の現代語訳に目を通していただければと、、、、)
岡谷修行僧:それでは、写経体験をしていただいた皆さんから、『般若心経』に関してなにか確認したい点・質問等などありましたら、こちらのわかる範囲でお答えしますが、、、
受講生A:あの~、素人なのですぐに結論めいたものが欲しいのですが、結局、『般若心経』というお経の正体というか、一番大きなポイントとはなんでしょうか。
岡:ズバリ、核心をついた質問ですね。
私自身も、まだまだ修行中の身ですから、先人や専門家の肩に乗って、お答えしますと、『般若心経』の本質は二つ。
一つは、『般若心経』の内容は釈迦仏教の教えの否定で、もう一つは『般若心経』自体が「般若心経=最強の呪文」であると宣言している事実です。
以上の二点は、江戸時代の天才学者・富永仲基(とみながなかもと)や現代の仏教学者が述べていることです。
A:核を二つに絞ってもらったので、とても助かります。
では、一点目のお釈迦様の教えを否定したということを分かりやすく説明していただけますか。
岡:はい、頑張ってみましょう。
釈迦仏教では「五蘊=色・受・想・行・識」そのものの存在を認めていますよね。
この世の一切の存在は、色(物質的現象)と受想行識(人間の精神作用)によって構成されているとお釈迦様は考えたんです。
でも、『般若心経』には「照見五蘊皆空」とあります。
これって、要は、「釈迦仏教の教えの『五蘊』は、実体がないんだよ」と言ってるわけですね。
再確認すると、釈迦の教えでは「五蘊自体は存在する」で、一方の『般若心経』の説明は「五蘊自体も実体がない」というわけです。
A:ありゃま、正反対ですね、お釈迦様は「ある」と言い、『般若心経』側は「ない」と断じているんですね。
え~、なんというか、新鮮な驚きというか、、、写経していて全く気が付きませんでした。
へえ~、『般若心経』って釈迦仏教の否定だったのか。
あ、出だしの「観自在菩薩」も気になるところだな、、、、
岡:その「観自在菩薩」も釈迦仏教には登場しない、架空の存在ですね。
その観自在菩薩が、舎利子に教えを説く体裁で書かれているのが『般若心経』です。
舎利子(=シャーリプトラ)とは、釈迦の高弟の一人で実在の人物。
ですから、ここも観自在菩薩が『般若心経』側を代表して、舎利子(=釈迦仏教側の代表)に上から教えを垂れている形式をとっているのです。
A:はは~ん、つまり、『般若心経』側が釈迦仏教側相手にマウントをとっているというか、「我ら『般若心経』の方が、釈迦仏教よりも優れているんだよ」と宣言しているのかな。
岡:そう解釈してもらって結構だと思いますよ。
それこそ、先ほど言及した富永仲基の説が指摘するところですね。
もうひとつ例を出すと、「無苦集滅道」の部分に注目してください。
ここは、釈迦仏教の根本である「四諦」の否定ですよね。
受講生B:あの~、初歩的すぎる質問ですみませんが、「したい」って何ですか。
岡:四諦の「諦」とは「真理」のことで、お釈迦様が説いた四つの真理というのが四諦です。
苦諦・集諦・滅諦・道諦の四つなんですが、この釈迦仏教の根本教義を『般若心経』は「四諦など存在しない」と断言しているんですよ。
それが、「無苦集滅道」の言わんとするものでしょう。
B:すいません、四諦の内容を少し紹介してくれませんか。
岡:あ、ごめんなさい、言葉が足りませんでしたね。
では、説明しますと、苦諦とは「人生は苦しみだということ」、集諦とは「人生が苦しいのは原因があるからだ」、滅諦は「その苦しみの原因を滅ぼしてしまおう」、そして道諦とは「苦しみを滅するための正しい道がある」という四つの認識なんです。
B:また、確認ですけど、集諦のいう「苦しみの原因」とは何なんでしょうか。
岡:お釈迦様によれば、「執着」「妄執」だとされています。
釈迦仏教では「我々の執着が苦しみの原因である」としているのを、『般若心経』では「苦しみの原因も存在していない」と主張するんですね。
例の「無苦集滅道」とは、「苦もないし、苦の原因もないし、苦を滅することもないし、苦を滅する道もない」と真っ向からお釈迦さまの「四諦」を否定しています。
A:なるほど~、そういうことだったんですか~。
漢字を一字一字写すだけでは気づきませんでした。
B:同感ですね。
では、もう一つのポイントの「呪文」にからむところを教えていただけますか。
岡:はい、その点は『般若心経』自身がハッキリと言い張っていることなんです。
文言の中に「是大神咒 是大明咒 是無上咒 是無等等咒」とあるのが、それですね。
「咒」というのは「真言」とも「明咒」とも訳されますが、要は、「マントラ」つまり「呪文」のこと。
『般若心経』は自らを「大いなる呪文であり、さとりの呪文であり、無上の呪文であり、無比の呪文」であると高らかに宣言しているのです。
B:え~、それじゃ、私たちは呪文を書き写したんですか、今日の講座で。
岡:そうですよ。
自称「最高・最強の呪文」である『般若心経』を皆さんは本日、しっかりと丁寧に写経してくださったんです。
A:そんな凄い呪文を筆写したのなら、何か効果がありますかね~、期待してしまいますね。
岡:私からはなんとも言えませんが、『般若心経』自体は「能除一切苦厄」と保証していますよ。
つまり、「あらゆる苦厄を取り除いてくれる」と謳っています。
だから、もしかしたら、いい事があるかもしれませんね。
B:なんか、今日のお話はとても興味深いものです。
『般若心経』の中身は釈迦仏教の否定であり、自らを「最高・最強の呪文」だと自負しているとか、、、
面白いから、今回配布された現代語訳をじっくりと読み返してみます。
岡:ぜひ、そうしてください。
私の拙い話は、独りよがりの説明ではなくて、先ほど紹介した、天才学者・富永仲基の「加上説」や現代の仏教学者の学説に基づいて、私なりの言葉で表現させてもらいました。
それでは、今回の「写経教室」はこのあたりで終了させてもらいます。
追記
岡谷修行僧は「般若心経の徒」である。
平日は、朝夕の読誦・書写で自らを律し、週末には写経教室講師としてボランティア活動に励んでいる。
常連の皆さん、今後も修行僧の活躍に期待してください。