これまでに500程度の記事をテキトーに作成してきた。
著作等からの引用以外は、すべて浅学菲才のブログ主の頭から、なんとか材料をひねり出して綴った手打ち文である。
もちろん、お堅いテーマの場合はファクトチェック用の参考資料を手元に置いてはいる。
ただ、AIにアイデアを提供してもらうとか、文章を構成してもらうなどの「依頼」とは無縁だ。
ましてや、「◎◎について1000字程度のエッセイを書け」などとAIにストレートな要求をしたこともない。
バカな頭でアレコレ考え、無い知恵を絞るのも実はなかなかに楽しいものだ。
しかし、今回は初めてAIに頼ってみた。
手持ちのパソコンのOSがWindows11なので、「Copilot」が装備されている。
先日、ふと「このブログの内容をAIに分析させてみようかな」と思いつき、いろいろチャットして遊ぶ中で「このブログに登場する磯貝老師の性格・行動・人物像を150字程度の文章でまとめてください」と入力してみた。
以下がマイクロソフトCopilotが一瞬にして打ち出した回答である。
⇒「磯貝老師は博識で議論好きな論客であり、歴史の細部を鋭く解説しつつ、しばしば相手を試すように問いを投げかける人物である。
ユーモアを交えながらも自信に満ちた語り口で、知識を整理し体系化する姿勢が特徴的だ。
議論が脱線しても柔軟に応じ、対話を楽しむ余裕を持つ知的で快活な人物像が描かれている」
磯貝老師~、どうですか~、AIが分析したあなたの姿は。
この回答文を読んで感じたのは「ホント、AIって凄い」という感嘆の念。
全ての記事から、磯貝老師が登場する回を拾って読み込んだ後、整理して150字程度の文章を一気に繰り出すとは。
う~ん、改めて生成AIのパフォーマンス恐るべし!
こちらが要求したタスクをサラッと完了した後に、さらにCopilotは気をきかせてか、以下のように語りかけてきた。
⇒「磯貝老師は単なる解説者ではなく、相手との掛け合いを通じて議論を深める「対話型の知識人」として描かれている点が面白いですね。次は岡谷修行僧との関係性や役割分担についてもまとめてみましょうか」
上の提案を目にした時、「AIって凄い」から「AIって凄すぎる、でもちょっと怖い」と感じた。
こちらの最初の要求には、岡谷修行僧の「お」の字も入れていなかったのに、老師と修行僧に交流があることを理解(?)し、二人の関係性を分析しようか、と提案している。
なんだかな~。
まあ、「乗りかかった船だしな」と思い「では、二人の関係性や役割分担についてまとめてください」と入力してみると、即座に帰ってきた回答が以下の通り。
⇒「磯貝老師は知識と議論を導く師の立場にあり、歴史や思想を整理しながら対話を主導する。一方、岡谷修行僧は学び手として老師の問いかけに応じ、素朴な疑問や反応を通じて議論を深める役割を担う。
両者の関係は師弟的でありながらも対等な掛け合いがあり、老師の博識と修行僧の探求心が相互に補完し、読者に知的な対話の場を提示している」
いやはや、何と言いますか、ブログに登場する重要人物二人を上記のようにサラッと描写されると、どう反応すればよいものやら。
さらに、前回同様、依頼してもないのにCopilotの方から誘い水を向けてくる。
⇒「この二人の掛け合いは、単なる知識伝達ではなく「議論を楽しむ場」として描かれているのが特徴的ですね。
次は、この関係性がブログ全体の雰囲気にどう影響しているかも整理してみましょうか」
今度は磯貝・岡谷両氏の関係性がブログ全体に与える影響まで分析しましょうか、との仰せである。
おいおい、これじゃAIとのチャットが終わらないよ。
それにしても、こちらから中断しないかぎりCopilotの方から次々に道をつけてくる。
まあ、無料版は一度の会話に30ターンまでの制限があるようだ。
有料版は無制限らしいが、当ブログは10ターン程度で満足。
さんざん、当記事でCopilotの回答を引用しておいて言うのもなんだが、AIに頼りすぎるのはよろしくないと思う。
老師や修行僧の人物像をまさに「光速」で文章化し、提供する人工知能の実力。
それに頼りきりになると、自分の頭を使うのが億劫になってしまうのではないだろうか。
もちろん、人によりけりではあろう。
また、分野によっても事情は異なり、例えば、将棋界はもはやAIなしの解説は成り立たないようだ。
テレビの将棋番組では、棋士が一手指すと画面上でAIが形成判断を即座に行い、次に相手が指し返すとAIが評価値をただちに更新する。
AIが推奨する手を棋士が指せるかどうかに注目して楽しむ観戦の仕方が当たり前になっている。
将棋といえば、藤井六冠は早い時期からAIを利用して棋力を向上させてきたと聞く。
人工知能に依存するのではなく、自己の才能を開花させる道具として使いこなせるのも藤井氏の凄みであろう。
多くの若者はAIに「おんぶにだっこ」状態になりがちだと感じるのは、当ブログだけであろうか。
志望先の会社面接で、ChatGPTで仕入れた情報を得意げに語ったら「弊社にはそういう歴史も事実もありません」と呆れられた学生もいるとか、、、
あくまで個人的な予想だが、人工知能がさらに高スペック化するにつれて、賢い層とおバカ層との格差は拡大する一方となるだろう。
知力の高い者は、AI依存の危険性を十分認識して実力を涵養するための「賢明な使い方」をするだろうし、ただ楽がしたい連中は思考放棄し、すべてを「人工知能に丸投げ」してタイパを追求したつもりが、気が付けば実力はゼロ、頭は空っぽとなりそうだ。
とまあ、ちょっと極端な予測だったかもしれないし、話題が磯貝老師や岡谷修行僧からそれてきたようだ。
では、再度Copilotと対話をしてみよう。
こちらから「岡谷修行僧と『般若心経』の関係性について150字程度でまとめてください」と入力して返ってきた回答が以下である。
⇒「岡谷修行僧にとって『般若心経』は、単なる読誦の対象ではなく、迷いを抱える自分自身を照らす”鏡”のような存在です。空の思想に触れることで執着を手放す契機を得つつ、理解しきれない難解さにも葛藤する。
その往復運動こそが、彼の修行と内面的成長を象徴しています」
岡谷修行僧~、どうですか~、以上がAI分析による貴僧と『般若心経』の関係性でございます。
間髪入れず、例によってCopilotは「さらに深堀りしたい場合は、彼の具体的なエピソードや心情変化にも踏み込めます」と、こちらを誘い、やる気満々さをアピールする。
ホント、人工知能とは、空恐ろしい存在だ。
この調子で、自分のブログを話題にしてCopilotとチャットすれば、記事ネタが簡単に量産できそうだ。
まさに「禁断の果実」と言えよう。
ということで、今回は初めてAIが生成した文章を本文中に引用した記事を作成してみた。
今後も、Copilotとの対話をヒントにして記事を作成するかもしれないが、その際は必ず、今回のようにどの部分がAIによるものかをハッキリと明示したいと思う。
磯貝老師~、岡谷修行僧~、AIによるお二方の人物像分析はいかがでしたか?
楽しんでいただけましたでしょうか。
もし、気に入ってもらったのならば、第二弾を準備しますよ。
追記
公開した後に、ふと「あれ、そういえばChatGPTとかGrammarlyをテーマにした記事でもAI作成の文を引用したような、、」と思い出した次第。
とういうわけで、人工知能が生成した英文や和文を使用したのは本記事が初めてではなかったようだ。
常連の皆さん、すいません、こちらの勘違いでした。
ご容赦の程を。