石破首相の『戦後80年に寄せて』とかいうメッセージを一字一句、読んでみた。
予想通り、内容の薄っぺらいこと!
ホント、何の意味があったのだろうか、あそこまで空疎な所感を出すことに。
まず、冒頭で石破は「先の大戦の終結から、80年が経ちました」と述べているが、この「先の大戦」の開始がいつなのかという重要な論点には一切触れていない。
ただ、文中に「満州事変」を用いているから、そこが起点だと示唆したいのかもしれない。
石破は「過去三度の談話においては、なぜあの戦争を避けることができなかったという点にはあまり触れられておりません。(中略)国内の政治システムは、なぜ歯止めたりえなかったのか」と問題提起し、自らの見解を述べていく。
焦点を「国内の政治システム」に石破が当てたいのは理解できるが、所感には当時の世界情勢や諸外国の動向などの分析がほとんど含まれていない。
1929年のアメリカ大恐慌以降の流れがわずかに言及されている程度だ。
戦争は政治の延長であるから、国際間の紛争・戦争の原因を考察する際に、国際情勢(軍事・外交・経済等)を抜きにして語ることは不可能だろう。
現在停戦中のイスラエル・ハマス戦争の原因をイスラエルの政治システムのみで説明することはできないだろうし、ハマス政治部門の事情だけで解説することも不可能だろう。
まあ、左派・リベラルのコメンテーターはイスラエルを責めて、ハマスを庇うような発言が多いが、、、
話を石破演説に戻そう。
石破が挙げる柱は、大日本帝国憲法の問題点、政府や議会の問題、メディアの問題、情報収集・分析の問題などである。
石破発言を正確に引用しよう。
⇒「大日本帝国憲法の下では、軍隊を指揮する権限である統帥権は独立したものであるとされ、政治と軍事の関係において、常に政治すなわち文民が優位でなくてはならないという『文民統制』の原則が、制度上存在しなかったのです」
⇒「1930年には、野党・立憲政友会は立憲民政党内閣を揺さぶるため、海軍の一部と手を組み、ロンドン海軍軍縮条約の批准を巡って、統帥権干犯であると主張し、政府を激しく攻撃しました。政府は、ロンドン軍縮条約をかろうじて批准しました」
以上のように、石破はいわゆる事実とされる国内事情を並べて行くだけだ。
言うならば、歴史の授業を聞いているような印象しか受けない。
しかも、戦前の事件や史実に関心を持つ層にとっては、常識レベル程度の情報である。
現代の視点から、大日本帝国憲法の不備を指摘することは簡単だ。
ただ、旧プロイセン憲法を下敷きにして、あの明治憲法を急遽、制定したのは、諸外国から近代国家と見なされ、不平等条約改正の足掛かりとするために必要だと明治政府が判断したからだ。
つまり、石破の指摘には、歴史的観点が欠けている。
ロンドン軍縮条約に関して、石破は野党が与党を攻撃したことを指摘するが、国民の多くがこの軍縮条約批准に反対していた事実を無視している。
当時の世論は、日本の軍備増強に賛成する意見が強かった。
80年間、戦争当事国になっていない現在の国民と、昭和初期の日本人とでは軍事・国防に関する意識が違い過ぎるのだ。
令和の日本人には想像しがたいかもしれないが、昭和初期の日本国民はロンドン軍縮条約を「屈辱的な不平等条約」と認識した。
別に、ロンドン条約締結が外交的悪手だったと当ブログは思わないが、重要なことは当時の日本人が「愚策」だと批判した事実である。
約100年近く前の国際情勢、国民感情や世相を考慮せずに、令和7年に上から目線で「国内の政治システムは、なぜ歯止め足りえなかったのか」などと問いかけることに何の意味があるのだろうか?
本記事を作成するために、石破所感の全文を一字一句、最初から最後まで読んでみた。
予想通り、清々しいまでに空っぽな演説であった。
と、ここまで書いてきて、ちょっと貶しすぎかなと感じてきたので、甘口のコメントを少々。
石破所感の柱の一つ、「メディアの問題」についての部分は、それほど悪くはないと思う。
⇒「満州事変が起った頃から、メディアの論調は、積極的な戦争支持に変わりました。戦争報道が『売れた』からであり、新聞各紙は大きく発行部数を伸ばしました」
⇒「関東軍の一部が満州事変を起こし、わずか1年半ほどで日本本土の数倍の土地を占領しました。新聞はこれを大々的に報道し、多くの国民はこれに幻惑され、ナショナリズムは更に高まりました」
上の引用部にあるように、石破は戦前のメディアに対する批判も織り込んでいる。
どうせなら、戦前の朝日新聞がどれほど国民の戦意高揚を煽ったか、さらには靖国神社賛美の記事を量産した事実などもシッカリと挙げて欲しかった。
戦前は対外戦争を100%肯定して、大儲けし、戦後はGHQの手先となって戦前を全否定した朝日新聞の無節操ぶりを、もし石破が実名をあげて攻撃していたならば、今回の「80年談話」は高く評価されていたであろう。
これは、もちろん冗談であり、現役の総理が特定の現存する新聞社を非難できるはずもない。
今回、比較するために、保守層が絶賛する安倍晋三元総理の「70年談話」も、数年ぶりに読み返してみた。
正直、安倍談話の方に軍配は上がると思う。
時間があれば、常連の皆さんも、両方を読み比べてみるのはいかがでしょうか。
もちろん、それぞれ感じ方は異なるかもしれませんが。
最後に、石破談話を読んだ感想を箇条書きにしておこう。
*歴史観に欠けており、単なる事件・事実(?)の羅列で構成されている。
*一般論、抽象論に終始している。
*そのため、ある時代を概観する講義を聞いているような印象を受ける。
*しかも、これといって新しい知見もなければ、斬新な見解もない。
*結局、内容は空疎であるため、これを機に安倍談話の評価がさらに上がるだろう。
それにしても、同じ話を聞いても感じ方は人それぞれだ。
案外、ネット民の中には今回の石破談話を高評価している人たちがかなりいるようで、大変驚いている。
まあ、これ以上、一国の首相演説を酷評するのも気が引けるので、このくらいにしておきたい。
追記
石破談話そのものは、内容の薄いものだが、言及されている「統帥権干犯」「ロンドン海軍軍縮条約」「国際連盟からの脱退」などのトピックは、またブログネタとして取り上げるかもしれない。