当ブログは保守の立場ではあるが、右翼ではない。
従って、一部の右翼のように、「日本の国体は、初代神武天皇からの万世一系である!」と熱っぽく語ったりはしない。
かといって、左翼学者の「なにがなんでも万世一系にケチをつけたい」という態度も好きではない。
さて、今回は、戦前の思想や価値観を全否定したい左派学者が使用する、「欠史八代」という用語を紹介したい。
まず、以下を見ていただきたい。
神武(初代)⇒綏靖(すいぜい)⇒安寧(あんねい)⇒懿徳(いとく)⇒孝昭(こうしょう)⇒孝安(こうあん)⇒孝霊(こうれい)⇒孝元(こうげん)⇒開化(かいか)⇒崇神(すじん 第十代)
以上は、初代の神武天皇から第十代の崇神天皇までの皇位継承の流れである。
この系譜の第二代綏靖天皇から第九代開化天皇までの八代が、「万世一系」を否定する研究者のいう「欠史八代」である。
否定派は、第二代から第九代までの八代の天皇は実在しないと主張する。
非実在説を唱える学者たちの根拠(?)は以下のようなものである。
?『古事記』や『日本書紀』の編纂者たちが皇室の歴史を実際よりも長くみせかけたかったから
?そのために、実在しなかった天皇を創作した
?特に、綏靖天皇から開化天皇までの八代は、具体的な事績がほとんど記されていない
以上のようなこと(他にもあるが)を証拠として、「欠史八代」説が生まれたようだ。
戦前に弾圧された左派学者からの反撃という意味合いも強いのであろうが、、、
ただ、一般に、「非実在を証明する」ことは極めて困難であるはずだ。
こちらの勘違いでなければ、いわゆる「悪魔の証明」というものではなかったか。
この「欠史八代」説に関して、歴史学者ではない、シロートの当ブログが『古事記』や『日本書紀』をななめ読みして感じたことを少し書いてみたい。
* 非実在派の言う「具体的な事績がほとんど記されていない」との意見について
確かに、『古事記』における第二代から第四代天皇に関する記述は詳しいとはいえない。
例えば、綏靖天皇については以下のようになる。
⇒「カムヌナカハミミノ命は、葛城の高岡の宮に座して、天下をお治め遊ばされた。この天皇が磯城県主(しきのあがたぬし)の祖先に当るカハマタビメを娶してお生みになった御子は、シキツヒコタマデミノ命お一方である。天皇は御年四十五歳で崩御、御陵は衝田(つきだ)の岡にある」(蓮田善明氏による現代語訳)
一方、『日本書紀』では、綏靖天皇の事績はかなり詳細に紹介されている。
例えば、天皇が神武天皇の第三子であること、母親の名も記されているし、腹違いの兄から命を狙われたことなど、様々な事柄が語られている。
再度、『古事記』にもどると、第七代孝霊天皇から第九代開化天皇までは、かなりの分量の記述があり、吉備の国を平定した事績なども記されている。
また、多くの豪族の系譜が記載されており、これは当時の皇室が地方勢力と同盟関係を結んでいった様子(=各天皇の事績)が見てとれるとする専門家もいる。
となると、否定派の「具体的な事績がほとんど記されていない」という主張も、それほど説得力があるとはいえないのではないだろうか。
* ここで、竹田恒泰氏(=明治天皇の玄孫)の見解を引用
当ブログのようなアマチュアの感想では、常連の皆さんも納得されないのではと思い、専門家である竹田恒泰氏の意見を著書から引用する。
⇒「もしこれら八代の天皇の実在を否定してしまうと、それまでの歴代天皇に連なる多くの日本人の祖先の実在を否定することになる。伊賀、名張、春日、吉備、阿倍なども実在しなかったことになってしまう。
しかも、第二代から第九代は、ヤマト王権が周辺の豪族を束ねて、統治範囲を関西一円に広げていった時期と見られるが、大和朝廷が戦争を経ずにその統治範囲を全国に拡大したことは、考古学的事実と一致する」
以上は、竹田氏の『天皇の国史 上』(PHP文庫)からの抜粋である。
興味のある方は、ぜひご一読を。
◎ おわりに
結局、大昔のことだから、真実の相を突きとめることは難しい。
ただ、竹田氏の著作等を読むと、「欠史八代」は、実在したのではないかと感じる。
非実在派の言い分にもかなり目を通したが、「とにかく、万世一系を否定したい」との思いが先走って、批判のための批判になっている印象を受ける。
まあ、否定派から言わせれば、当ブログが保守だから実在説を贔屓しているのだ、と映るのかもしれない。
左派学者の多くは、皇室がいわゆる「万世一系」的になったのは、第二十六代継体天皇以後のことであろうと考えているようだ。
仮にそうだとしても、いや、さらに譲って、崇峻天皇か推古天皇、厩戸皇子(聖徳太子)の時代ぐらいが、「万世一系」の起点であるとしても、我国が人類の歴史上において類例のない、永続性においては世界一の王朝であることは確かだ。
今、世界中をお騒がせしているトランプのアメリカなど、建国後、わずか二百数十年の歴史しか持たない青二才国家である。
大陸のチャイナなどは、大昔から、次から次に王朝や支配民族が交替するためか、「通史」が存在しない。
このような事実を踏まえれば、『古事記』(712年成立)や『日本書紀』(720年成立)をはじめとして、数々の国史を備えた日本は世界史上、比類なき国家と言えよう。
と、これぐらいにしておかないと、「右翼」とか「極右」のレッテルを貼られそうだ。
当ブログは、あくまで保守でございます。