昭和20年8月から、約7年間、日本はGHQの占領下にあった。
原爆、特攻、東京大空襲、沖縄戦などは戦後の節目には必ずと言ってよい程、メディアに取り上げられる。
その一方で、GHQによる言論・思想統制や公職追放といった日本人弾圧(=日本人洗脳)は、ほとんど語られていない印象を受ける。
日本が、有史以来、初めて他国に敗北し、七年間の長きにわたって占領統治されたという厳然たる事実。
この屈辱の歴史から目をそらさずに、戦後の検証を行わなければ、見るべきものが見えてこないのではなかろうか。
逆に、この七年間の国難を理解すれば、戦後から令和までつながる問題点を整理することができるかもしれない。
一例を出すと、例の「日本学術会議」の設立は昭和24年で、その産みの親はGHQである。
占領期である昭和24年に誕生した日本学術会議は、GHQの意向に沿った形で組織形成された。
当然のように、学術会議は活動を開始するや、政府批判や極めて党派性の強い議論ばかり行った。
当時の吉田茂首相は、この時点ですでに、学術会議を民間に移行することを検討する。
それに対抗して、学術会議初代会長であった亀山直人なる人物は、吉田首相宛てに書簡を送った。
その中で、亀山は「GHQが学術会議設立に異常な関心を示した」と報告しているが、要は、「GHQ」の名前を出して吉田茂を恫喝したのだ。
俗に、「虎の威を借る狐」と言う。
日本学術会議は、「GHQの威を借る左派」というわけだ。
では、そろそろ、本題の公職追放に入っていこう。
◎ 公職追放とは何か
端的に言うと、GHQからみて好ましくない人物を公職から追放する、すなわち、問答無用で解雇する占領政策である。
約21万人の日本人が、退職金やその他の手当ても支給されずに、首を切られたのである。
その家族を含めると、100万人以上の日本人が、突然、路頭に迷ったのだ。
まさに、GHQによる非人道的な日本人弾圧だといえる。
世界史上、類例のない暴挙だ。
◎ では、GHQからみて「好ましくない人物」とは誰を対象としていたのか。
1 戦争犯罪人
2 陸海軍軍人
3 超国家主義者的・暴力主義的団体の有力者
4 大政翼賛会指導者
5 海外金融・開発機関の役員
6 占領地の行政長官
7 その他の軍国主義者や極端な国家主義者
以上は、GHQが一方的に日本政府に通達してきた「公職追放に該当する」項目である。
そもそも、「戦争犯罪」とか「超国家主義」とかの用語も、GHQが勝手に自分たちの都合のいいように使っているだけだ。
この欺瞞が、後の極東国際軍事裁判(=東京裁判)の茶番劇にもつながっていくのだが、、、
中でも、一番理不尽な項目は「7」である。
この曖昧な定義は、GHQがいくらでも恣意的に解釈できるもので、要は、追放者の範囲を広げるために設定したものだ。
これにより、GHQが「保守的・戦前的」と判定すれば、ただちに公職から追放することが可能。
実際に、GHQから見て「保守的・戦前的」な学者・研究者・言論人・教育者も、軍人同様、職を失い追放された。
◎ 公職追放で得をした日本人はどのような層か
勘のいい、常連の皆さんがたには、もう察しがついているであろう。
そう、左派の学者・研究者・言論人・教育者たちである。
空席となった、様々な分野の重要ポストに左傾の連中が入り込んだのだ。
先ほどから、例に引いている日本学術会議の場合には、創設メンバーに共産党系研究者が30名ほどいた。
共産党関係ではないけれども、左翼やそのシンパも大勢いたようだ。
この事実を知っていれば、日本学術会議が設立以来、事あるたびに政府を攻撃し、政治色の濃い活動を繰り返している理由が理解できる。
GHQによる公職追放で地位と名誉を獲得した、このような左派の人々を、ある学者は「敗戦利得者」と呼んでいる。
なかなか、うまいネーミングだと思う。
この敗戦利得者(=左翼)たちは、学問の分野では、大学教授や総長となり、地歩を固めながら自分たちに忠実な弟子を育成した。
この連中が、GHQの日本人洗脳計画の先兵となったと考えてよいだろう。
GHQの弾圧により、保守系学者が追放されたことで、日本の学会・言論界・教育界が大きく左傾したことは、否定できない事実だ。
多くの日本人に、このことを知ってもらいたい。
◎ この続きは、また第二弾にて
ここまで目を通してくれた常連さんの中には、「なぜ、共産主義を嫌悪するアメリカが共産党や左派の増長を日本で許したのか」と疑問に思った方もいるかもしれない。
その点も含めて、公職追放シリーズの第二弾で、さらに細かいところを見ていきたい。
今回はこれぐらいにしておかないと、宮崎のSやトミーから「小難しくて面白くない」と苦情が入りそうだ。
ハハハ。