今年に入ってから、なにかにつけ「戦後八十年」というフレーズを見聞きする。
つい先日も、「戦後八十年の憲法記念日」に「憲法改正の議論」を考える、云々などの文句がテレビやネットで流れていたようだ。
日本国憲法は検閲を禁じている。
第二十一条二項に「検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない」とある。
憲法の公布は昭和21年11月、翌22年5月3日から施行された。
従って、検閲や通信の秘密を侵すことは憲法違反だ。
その憲法違反行為を、憲法を日本に押しつけたGHQ自身が何年間も続けていた。
昭和20年9月から24年10月までの約4年間に、GHQは日本人の手紙、電報を開封し内容を検閲、さらには電話を盗聴した。
タイトルに示したように、約2億通にも及ぶ手紙の下部がハサミで切って開封され、確認後にテープで修復されてから配達された。
1億3600万通の電報を丸裸にし、電話での会話内容も80万回ほど盗聴するという暴挙。
これが、GHQによる占領統治のほんの一部である。
多くの日本人は、この事実を知らない。
GHQは、自作の憲法が謳う「言論の自由」と検閲行為が矛盾することを自覚していたはずだ。
厚顔無恥とはこのこと。
さて、歴史上、類例がないほど異常で過酷な、戦勝国による敗戦国への言論弾圧を担当したのはCCD(Civil Censorship Detachment 民間検閲支隊・民間検閲局)というGHQ内の機関である。
このCCDは昭和24年10月に活動を終えると、その検閲活動の実態を闇に葬るために、徹底的に資料を焼却・破壊した。
日本人研究者によると、郵便関係の資料は少し残っているが、電話・電信検閲の証拠はほぼすべて抹消されたらしい。
この分野を専門とする第一人者、山本武利教授は以下のように説明する。
⇒「GHQ側は、世界的にも例のないような郵便検閲とメディア事前検閲を全国規模で実施したことを意図的に隠そうとした。例えば大阪の検閲機関CCDの資料が、全くといってよいほどに残っていない。研究者の立場から見ると、GHQは検閲された側の日本人自身による客観的な研究が出来ないよう妨害して占領を終えた、といっても過言ではない」
(上の引用は、斎藤勝久『占領期日本 三つの闇』(幻冬舎新書)の本文から)
GHQ下のCCDは、手紙・電報・電話の検閲から、様々な情報を入手し、占領政策に活用した。
日本人の秘密活動の摘発、機密情報の入手・活用、反GHQ的な行動の監視・摘発、世論調査に現れない日本人のホンネを調査する、など。
繰り返しになるが、「言論の自由を保障したGHQ憲法」を日本人に押しつけておきながら、自ら言論弾圧を行うという矛盾・欺瞞・暴政がGHQ占領政策の本質であった。
このCCDは日本語から情報を盗むわけだから、当然、日本人の協力が必要であった。
手紙や電報の内容は、まず日本人検閲者が読み、報告に値するかを、CCDの検閲要項に照らして判断したようだ。
GHQにとって重要かが判別がつかない場合も、必ず、責任者に上げていた。
CCDの検閲要項に合致する分はもちろん、検討を要する手紙文・電文もすべて、タイピストに回されて、全文が打ち出される。
その原稿を、翻訳官が英語に直し、さらに上級の翻訳者がミスを訂正する。
大雑把に言うと、上記の手順で日本人の生の声が英語化され、CCD上層部に届き、日本人弾圧のために利用されたのだ。
CCDは活動の最盛期には、8700名もの人員を擁しており、その中には多くの日本人がいた。
生活のためとはいえ、同胞である日本人のプライバシーを覗いていたのである。
言うまでもなく、日本人検閲者のほとんどが、当時の秘密を黙して語らず、世を去っていった。
これも、今の日本人がCCDの秘密活動を知らない原因の一つである。
当ブログには、当時の日本人検閲官たちを責める気持ちは全くない。
誰もが、生きるのに必死の時代だったのだ。
断罪されるべきは、人類史上、最低・最悪の言論弾圧を強行した、二枚舌の卑劣漢たるGHQに他ならない。
ここで、GHQ内部に関する重要な事実に焦点を当てる。
周知の通り、GHQ内には二大派閥があった。
理想主義者を中心とする民政局(GS)と現実路線重視の参謀第2部(GⅡ)であり、前者の民政局が対日占領政策の中心を担った。
上記の「理想主義者を中心とする」とは、言いかえると、「社会民主主義的」とか「ニューディラー」とほぼ同じである。
つまり、ハッキリ言えば、左翼である。
実際に、参謀第2部のトップは、民政局を左翼と見なし、その政策を批判していた。
また、民政局のメンバーの一部は共産主義者のような発言をしていたと指摘する研究者もいる。
日本占領政策を主導した民政局が、「左翼的」であり、現実として、理念先行型の「急進的な」日本改造路線をとったことは日本の戦後を検証する上で重要だ。
左に傾いた民政局が言論弾圧や思想統制を行ったということは、占領下の日本人に左翼思想を植え付けたと言えなくもない。
左寄りの民政局が強行した「公職追放」は、軍人だけではなく、GHQが一方的に「保守的」と見なした政治家、言論人、経済人ら合わせて、21万人を公職から追放、つまり、「首切り」したのである。
21万人ということは、家族を含めると100万人以上の日本人が路頭に迷う激震に襲われたことを意味する。
公職追放については、また別稿でとりあげたい。
今回の記事では、GHQの言論弾圧・思想統制の裏には「社会民主主義的=左翼的」思想があった事実を強調しておきたい。
戦後八十年の令和七年、今こそ、七年間の占領期日本の実態に多くの日本人が目を向けなければならないと思う。
追記
またまた、閲覧数の伸びない記事を作成してしまった、ハハハ。
CCDに関しては、新聞などのメディアに対する検閲にも触れたいし、CCDと連携したCIE(民間情報教育局)による日本人洗脳の事実も戦後八十年の検証には必要だ。