磯貝老師と岡谷修行僧が自由自在に語る! ~ 室町幕府の脆弱性とは?

今回も当ブログが誇る論客、磯貝老師と岡谷修行僧が登場。
前回に引き続き、室町幕府の構造的弱点について大いに語っていただこう。
時に話が脱線することもあるかもしれないが、それも二人の掛け合いの妙というもの。

磯:北朝から征夷大将軍に任命された足利尊氏が室町幕府をひらいたとされるわけだが、南朝の勢力も健在だから足利政権の権威は中途半端なものだ。
南朝側は、楠木正成亡き後も北畠親房らが支えて東国や九州で抗戦を続けるから社会の動揺は収まらないし、幕府内部でも深刻な対立が生じるよな。
岡谷修行僧、その辺の解説をよろしく。

岡:老師、こっちに話を振ってきたか~。
まあ、尊氏の弟直義(ただよし)と尊氏の執事高師直(こうのもろなお)の争い、例の「観応の擾乱」のことだな、ズバリ。
1350年に始まった、この揉め事は全国規模の動乱へと展開していくから、室町幕府の統治は機能不全に陥るわけで、また、この時の足利兄弟の動きが興味深いというか、そこのところは老師に補足をお願いするとしようかな。

磯:おっと、俺を試そうとしてるな。
まあ、乗ってやるとして、話を引き継ぐと、足利直義は高師直と対立したことを契機に、南朝方に降伏してしまうんだな。
で、南朝側と合体してパワーアップすると、その勢いで高師直を討った後、直義はすぐに南朝と手を切って兄の尊氏と和解するんだ。
なんとも変わり身の早いヤツだなという印象だが、実務能力が高くて幕府機能の整備に努めたのが直義で、あの建武式目制定にも大きく関与しているとか、、、

岡:あの頃の足利兄弟の動向は不可思議というか予測不可能というか、高師直排除の後は尊氏・直義兄弟間に亀裂が生じるよな。
兄側と弟側の武将たちの対立があったり、恩賞問題が絡んでたりとか、まあ、権力闘争だから当事者じゃないとわからない部分もあるだろうし。

磯:直義と揉めると、尊氏が南朝との関係を修復して勢力挽回を図るのは知っているだろ、岡谷修行僧。

岡:尊氏が一時的に南朝に降伏したとか説明されているアレのことだな。
要は、南朝の権威を利用して直義を「朝敵」認定しようとした尊氏の戦略だな。
なんとも、複雑怪奇な動きだけど、それだけ南朝が影響力を保持していたことの証拠でもある。
最終的には、直義は尊氏から毒殺されたと伝わるけれども、当時の武士の骨肉の争いは冷酷非情なものだな、老師。

磯:だな、足利兄弟もそうだし、源頼朝と義経の争いもそうだし、、、、
ん、そういえば頼朝は義経を討ったばかりか、奥州藤原氏も滅ぼしやがったんだ。
とんでもない野郎だよ、頼朝は、あの絢爛豪華な黄金文化・仏教文化を灰燼にしやがって、実にけしからん野蛮人だ。

岡:そうか、老師は奥州藤原氏の大ファンだったな。
平泉には、何度も足を運んだそうで。
御立腹なのはわかるが、さて、ここで室町時代の守護権限拡大の件に話題を移していこう。
前回に触れた刈田狼藉検断権のあとには、1346年に使節遵行権を守護に与えているよな。
これで、守護が裁判判決の強制執行権を握ったわけだから、さらに力を増していくのも当然。

磯:それだよ、それ。
さらに、1352年には観応半済令が発布された結果、一国の荘園・公領の年貢の半分を徴収する権限を守護が獲得したわけだ。
大きな財力を手にした守護は、土着の領主たちに年貢を分け与えたりしながら取り込んでいき家臣に組み込んでいく。
このあたりから、守護が守護大名化していくわけだ。
南北朝の動乱が収まらないから、幕府としては地方武士を組織するために、守護の権限を強化したわけだが、これが諸刃の刃だったというわけ。

岡:老師に質問なんだが、室町時代の土着領主のことを「国人」とか呼んだりするよな、確か。
この勢力もかなり力を持っていたんだよな。

磯:そうだな、国人もその時の情勢を冷静に分析しながら、あっちに付いたりこっちの陣営に参加したりで、かなり自由に活動してるぞ。
守護が荘園や公領を支配し、家臣団を編成する体制を日本史用語で「守護領国制」というけど、この守護の領国支配に対抗して国人たちが連合して国人一揆をおこしたりもする。

岡:老師、例の「悪党」と「国人」の違いは何なんだ。
なんだか、両者とも幕府に反抗したんだろ。

磯:うん、この辺の用語はあんまり気にしなくてもいいと思う。
まあ、一応、歴史書では、鎌倉末期に幕府に従わなかった地頭・荘官・悪党などの勢力を、室町時代ではまとめて「国人=在地の武士」と定義することが多いようだが。
結局、悪党というのは幕府からみて「言うことを聞かない連中、反抗する勢力」という意味で使っているわけだから、国人が足利政権に逆らったら、当然、「悪党」扱いされるわけだよ。
つまり、互いにオーバーラップする概念なんだな。

岡:正成を始め、楠木一族は室町幕府成立後も頑強な抗戦をするから、「悪党」と呼ばれるんだよな。
やっぱり、悪党・楠木正成の方がカッコいいよな、これが国人・楠木正成だったら、なんか座りが悪いぞ。

磯:岡谷修行僧の言う通りだ。
正成は「悪党」だからピタッとはまるわけであって、「国人」なんかじゃ調子が狂うよ。
大体、学者連中は様々な用語にスポットを当てたがるんだよ。
悪党だけで十分なのに、文献から拾ってきて「この場合は『国人』という用語が適当だと思う」とか主張したいんだろ、専門家という連中は。

岡:なるほど。
では、老師、そろそろまとめに入りたいけど、尊氏は守護の権限を拡大しながら、足利一門を諸国の守護に任命することで幕府の体制固めを図ったわけだ。
なにしろ、室町初期は南北朝の動乱と重なるから、諸国の安定化を目指した守護権限強化策は尊氏にとっては採用せざるを得なかったんだろうな。
短期的には合理的に思えた、尊氏の判断が中長期的には戦略的ミスであったと拙僧には思えてならないが。
守護が守護大名へと成長し、中には数カ国の守護を兼ねる大名も登場したことで、室町幕府の不安定化につながるわけだから。

磯:岡谷修行僧の指摘通りだ。
守護大名が強大化していくと、半済令の恩恵に加えて、荘園領主から年貢の徴収を請け負う「守護請」も行うようになるし、着々と領国を拡大していくから幕府の手に負えなくなるよな。
結局、三代将軍義満の時代に、山名氏や大内氏を倒して守護の勢力を削がざるをえなくなるわけだ。
だから、義満は強大な権力を誇示していたとみなしていいんだろうが、この三代将軍については皇位簒奪を狙ったとか解説する歴史家もいるし、、、

岡:あ、拙僧もかなり昔に今谷明氏の『室町の王権』でそういう話を読んだことがあるな、そういえば。

磯:修行僧もあの本に目を通していたのか。
なかなか興味深い内容だったが、今から今谷説に触れていくと話が終わらなくなるから、また機会を改めたいな。
なにしろ、今日は久々に青木部長と三人で旧交を温める飲み会だからな、夕方から。
じゃ、岡谷修行僧のほうで室町幕府の脆弱性の要因を簡単にまとめてくれ。

岡:わかった、老師。
要は、鎌倉末期から室町幕府成立期に皇統が分裂していたから足利政権の正統性が確立しなかったことが一つ。
二点目は、一点目との関連だが、数十年にわたる南北朝動乱のせいで諸国は疲弊するし、中央集権化が進まなかったこと。
三つ目は、悪党・国人の台頭を抑えるために幕府が守護に依存し、その権限を強化した点。
四点目は、守護が守護大名化して、幕府の足元を脅かす存在にまで成長したこと。
以上、一応時系列っぽく流れをまとめて、四つの要因を挙げてみたけど、老師、これでいいかな。

磯:さすがだ、岡谷修行僧。
こちらから言うことは何もない、見事だ。
じゃ、話はここまでにして、予約した飲み屋に急ごう。
青木部長が待ってるぞ。

岡:なんか、俺のまとめよりも一杯目のビールのことで頭がいっぱいみたいだな。
顔に書いているぞ、老師。

磯:ハハハ、ばれたか。
まあ、一杯やりながら、続きというか義満のことでもネタにするか、って青木部長が乗ってこないか~。

岡:部長は下ネタにしか興味ないからな~。
日本史の話題はまたにして、今宵は三人で学生時代に戻り、昔話に花を咲かせて楽しくやろうぜ。

磯:うん、そうしよう。