磯貝老師と岡谷修行僧、久々に登場! さて、今回の対談テーマは鎌倉時代あたり、、、

磯貝老師がご機嫌ななめだ。
そういえば、最近、登場回数が激減している。
油断すると今年も終わってしまいそうなので、久々に今回は老師と岡谷修行僧に大いに語ってもらおう。

磯貝老師:ここのブログ主は最近、ふざけてるよな。
全然、こっちに声を掛けずに、テキトーな記事でお茶を濁しおってからに。
この前も「室町時代はカオスだ」とか「室町幕府の権力基盤は貧弱だった」とか書いていたが、その原因・理由にはほとんど触れていないんだよ。

岡谷修行僧:そうそう。
分析が甘いというか、歴史は大河の流れと同じだから、上流というか最低でも鎌倉中期あたりから観ていかないとな。
二度の元寇で鎌倉幕府の屋台骨が揺らいだことで、当時の社会が大きく変動していく。
モンゴルの侵略を撃退した防衛戦争だったから、恩賞用の土地がない。
源平争乱の時や承久の乱と違って、敵方の領地を没収できなかったからな。

磯:それだよ。
中小の御家人は自分の土地や家屋敷を売ったり、質入れしたりして戦費に当てた者が多かった。
そして、戦いが終わってホッとしたのはいいが、命がけで奮闘した武士は恩賞を貰えずに没落していく。
一方で、金貸しや御家人の土地を買った連中が大いに繁栄している状況。

岡:大きな矛盾だよな。
体を張った人間が損をして、安全地帯にいた者たちが裕福になったんだから。
しかし、幕府には打つ手がない。
やむを得ず、徳政令を出したけど、効果は一時的、限定的。
当然、鎌倉の権威は地に落ちるというわけ。

磯:そうだな。
あと、得宗政治が元寇後から、北条氏の専制体制へと変化していくのも大事な点だ。
それまでは、評定衆による合議で政権運営していたのが、得宗家(=執権北条氏の家督をつぐ立場)の私邸でゴニョゴニョ内緒話して、自分たちの都合のいいように物事を決めるようになる。

岡:だから、御家人と得宗家の間で確執・対立が起こるわけだ。
幕府の要職はもとより、守護や地頭の多くを北条氏が占めるようになると、本来は北条氏と対等であったはずの有力御家人も頭が上がらなくなるんだよな、表面上は。
だから、鎌倉幕府は源氏の棟梁・頼朝が開いたものなのに、いつの間にやら平氏政権になってしまったと見ていいのかな、老師。

磯:そう、岡谷修行僧の指摘通り、北条氏は平氏だからな。
新田や足利はもちろん、源氏。
この辺の流れを考えると、「源平交代説」は俗説と言われるけど、当たっているような、、、
清盛(平氏)⇒頼朝・頼家・実朝(源氏)⇒北条氏(平氏)⇒足利尊氏(源氏)となるわけで。

岡:建武の新政を忘れてるぞ、老師。
まあ、元寇による幕府弱体化、御家人の没落、北条得宗家一門と有力御家人の対立などなどで社会全体が不安定化していく中でも、人間は逞しいからエネルギー溢れる新興勢力も生まれていく。

磯:お、「悪党」のことだな。簡単にいうと、新興武士団とか説明されている連中。

岡:もともと、鎌倉幕府は西国の武士団をがっちり組織化していたわけじゃない。
東国の御家人が西国にも地頭に任じられてはいても、幕府や荘園領主に従わない連中が荘園に食い込んだり、地頭の代官になったりして力・富を蓄えていった。
そいつらが「悪党」と呼ばれるわけだけど、地元の豪族やら、名主、没落御家人や非御家人、あと武装した農民やら僧兵くずれもいただろうな。
とにかく、才覚があり腕にもおぼえがある連中が徒党を組んだ雑多な集団だろう。

磯:その悪党の代表格が楠木正成。
ご存じ、後醍醐天皇の忠臣、南朝を支えた大黒柱。
楠木一族は橘氏の末裔だと自称していたらしいけど、怪しいもんだね。
でも、氏素性は関係ないよな、鎌倉末期から南北朝時代のような激動期にものを言うのは「実力」だからな。
あの当時、社会が不安定化、流動化して新たに強力なマグマが民衆の中から吹き上がってきたからこそ、その勢力を味方につけた後醍醐天皇が討幕、さらには天皇親政確立を狙うことができたわけだ。

岡:あと、老師、あれだな、鎌倉から室町にかけて守護の権限が拡大していったことも大きな要因だと思うけどね、足利将軍の権力基盤が脆かったのには。

磯:お、それは言わずもがなだよ。
ただ、守護権限拡大の件を今からみていくと、一気に室町幕府まで話が飛ぶから、もう少し鎌倉時代に留まるとして、岡谷修行僧の得意分野の鎌倉仏教、特に禅について質問。
なんで、あの時代に禅宗が隆盛したんだ?

岡:その辺は、老師もよく知っているはずだが、モンゴルの勢力拡大が大きな理由だろうね。
大陸の元が宋を滅ぼしにかかったから、禅の高僧たちが宋から日本に渡ってきた。
蘭渓道隆とか無学祖元とか、あまりにも有名。
もちろん、栄西と道元の活躍によるところも非常に大きいし、要は、武士の気質と禅との相性が良かったんだろうな。
元寇を退けた北条時宗は無学祖元のもとで参禅してから、本来の剛毅な気性に磨きがかかったらしく、祖元もその豪胆さ、勇邁さを絶賛しているし。

磯:元にとっては、皮肉なもんだ。
宋から脱出した無学祖元が指導した北条時宗が、元の侵攻を食い止めたんだから。
本当のところ、あのモンゴル帝国は日本侵略に失敗したとはいえ、日本社会に大きな影響を与えているよな。
禅もそうだけど、同時に朱子学が日本に入ってきて、「大義名分論」が日本の知識階級に受け入れられた。
後醍醐天皇は、この朱子学の正統思想、大義名分論に深く傾倒し、討幕を目指すことになるんだな。

岡:そのへんを思うと、つくづく歴史ってやつは連続性があり、様々な原因や条件が絡まり合って結果が生まれてくることがわかる。
モンゴルの皇帝らは、自分たちの侵略戦争が日本での南北朝時代に間接的に絡んできたことなど夢にも想像しなかっただろう。

磯:ホント、歴史は興味深いよ。
調べれば調べる程、いろんな史実が浮き上がるし、無関係だと思っていた点同士がつながったりする。
まだまだ、話したいことは尽きないけど、今回はこれくらいにしとくか、修行僧よ。
俺も、そろそろ、晩酌の時間だ。

岡:老師、今回は第一弾ということにして、室町まで含めて第二弾をやろう。
拙僧も、今から般若心経に向わねば。
では、これにて。

追記
今回は室町まで話題が進んでいないので、足利政権の脆弱性については第二弾にて。
次回も、磯貝老師と岡谷修行僧の名コンビの対談をお楽しみに。