千夏は目を覚ました。
土と草の匂いが鼻をくすぐる。
頬を冷たい風が撫で、耳に届くのは鳥とも動物とも判別しない奇妙な鳴き声。
~ ここはどこだろう? 仰向けの体勢で地面に寝ているようだ。 夢でも見ているのか ~
つい先ほどまで、都内のカフェで、薫り高いコーヒーを味わいながら内定先の資料を読んでいたはず。
超難関大学を首席で卒業した千夏は、第一志望の大企業に就職が決まり、4月からの新生活への期待と緊張を胸に、充実した毎日を送っていたのだが。
ここは深い森の中だろうか、見たことのない種類の木々が立ち並び、足元の低い草は極彩色の小さな花を咲かせている。
何かの気配を感じ、身体を起こして、後ろを振り返る。
「気がついたか、娘さん」
低く落ち着いた、そして暖かみのある声の持ち主が、そこに立っていた。
70代後半ぐらいの年齢だろうか、白髪を後ろで束ねている老人の顔には深い皺が刻まれている。
しかしながら、その全身には二十代のトップアスリートのような精気と圧倒的なオーラを纏っている。
「娘さん、あんた、あやうく森狼の胃袋に収まるところだったぞ」と老人は3メートルほど先の巨獣を指さした。
千夏は息を呑んだ。
そこに横たわっていたのは、北極に君臨する白熊と見まがうほど巨大な、銀色の狼。
2026年の地球にこんな怖ろし気な野獣は存在しない。
~ これは夢なのか、、、~
「私を助けてくれたんですか、、、?」と千夏は、強烈な存在感を放つ老人へ問いかけた。
「うむ、あのまま森狼の群れに襲われていたら、おまえさん、跡形も残っていないぞ、今頃」
老人は微笑を浮かべながら、肩をすくめた。
それにしても妙だ。
老人の顔つきは八十の手前といった感じなのに、動作やただ住まいが異様に若々しい。
「私はローシ・ザ・イソガイ。この辺りでは、物好きで世話好きなジジイとしてちょっとは知られている」
「ローシ、、、さん?」
「ローシでよい。娘さん、名前は?」
「千夏です。あの、、、ここは日本じゃないんですよね」
「二ホン? 聞いたことがないな」
夢なら早く醒めて欲しいと願いながら、千夏は胸の奥が冷たくなるのを感じた。
地球上ではありえない森の様子や奇怪な獣、敵ではなさそうな老人、、、しかし、日本語は通じる。
状況は理解できないが、もしかして、本当になんらかの「異世界」に来てしまったのか。
ローシは、途方に暮れる千夏の表情を見ると、すべてを見通したように、ふっと笑った。
「心配するな。どうやら、おまえさんは別の世界の住人らしい。お節介焼のジジイとしては、元の世界に戻る手助けをしたくなってきた。それまで、このローシがチナツを守ってやろう」
「守ってくれる、、、?」
「うむ。チナツには魔力のカケラも感じられない。この世界では、それは致命的だ」
森狼、魔力、、、やはり、ここは異世界か。
現実感が薄れていく一方で、千夏の胸中に決意の炎が燃える。
ここで生きていきながら令和の日本に戻る方法を見つけるしかない。
「ついて来い、チナツ。まずは、おまえに生きる術をおしえてやろう」と告げると、ローシは森の奥へと歩き出した。
千夏は、深呼吸をすると、ローシの背中を追う。
森の奥に進むにつれ、なにやら不穏な空気が漂い始めた。
不気味なざわめき。
木々の間から、低い唸り声が響いてくる。
千夏は、恐怖で凍り付きながら、思わずローシの袖をつかんだ。
「ローシさん、いまの音は、、、」
「早速、お出でなさったな。チナツ、目をつぶっておれ。森狼だけじゃなさそうだ」
その刹那、茂みが揺れたかと思うと、銀色の毛並みを逆立てた森狼が五、六頭、牙をむいて二人に飛びかかってくる。
続いて、上空から怪鳥が鋭い爪をたてて急降下してくる。
さらに、木々をかき分けて、巨大な邪鬼が姿をあらわす、、、
To be continued…