歴史に「if」はないのは百も承知ながら、王者川口と大東亜戦争の「たられば」を語ろう!

先日、久々に王者川口と気ままに対話を楽しんだ。
早速、前回の続きをやろうと川口から誘いがあり、今回は大東亜戦争の「たられば」をテーマにすることに。
本記事の「大東亜戦争」は、最も狭義の「大東亜戦争」として起点を昭和16年12月8日としたい。
さてさて、王者川口、本日も気合十分でございます。

川口:そういえば、年明けに『ふてほど』のスペシャル版が放送されるらしいよ。
もう、今からワクワクしてるよ。

ブログ主:え、ほんと?
それは、必ず観ないとな~。

川:楽しみだね~、とか言ってると『ふてほど』の話で終わってしまうから、本日のテーマに入りますか。
まず、時系列でいくと真珠湾攻撃からだけど、後年の研究者が指摘する第二次攻撃の必要性についてはどう思う?

ブ:前回にも少し出たその件に関しては、日本人だけでなくてアメリカの旧軍関係者も「なぜ、あの時日本軍は真珠湾の重油タンクや軍事施設を攻撃しなかったのか。もし、両者が破壊されていたら、ハワイの米軍は立ち直るのに長期間必要としただろう」とコメントしてるけど。
ん~、どうだろな、個人的には迷うところだな。

川:うん、確かに多くの日米専門家はそんなふうに指摘するよね。
でも、現場の総指揮官だった南雲中将にとっては、日本から遥か彼方の地で奇襲攻撃を成功させて米戦艦群に大打撃を与えた結果に満足した面が大きいのかな。
日本側は微小な損害で済んだから、南雲さんとしては空母機動部隊を無傷で日本に帰還させることで頭が一杯だったのかもしれないね。

ブ:攻撃隊指揮官の淵田さんはやる気満々だったし、空母飛龍の山口多聞少将からも南雲中将に第二次攻撃を催促してるんだが、南雲さんは動かなかった。

川:そのことで南雲中将は、後に海軍部内でも「南雲は腰が引けてる」とか「指揮官の器じゃない」とか、さんざん陰口を叩かれるんだよね。
でも、どうだろね、その場にいなかった第三者は後知恵で何とでも言えるから。
元々、当初の真珠湾作戦には地上の軍事連施設への攻撃は予定されていなかったはずだよ。
確かに、山口少将や淵田中佐が当日の情勢判断から第二次攻撃指令を要求したから、非常に難しい決断を南雲中将は迫られたと思う。

ブ:そもそも、空母艦載機の大編隊が停泊中の戦艦群を猛攻撃して沈めるなんて、それ自体が前代未聞の革命的戦術!
三百数十機の攻撃隊が真珠湾に殺到し、米太平洋艦隊を壊滅させたんだから、空母以外は。
あの当時、こんな凄い芸当が出来たのは大日本帝国海軍だけだから!

川:あんまり興奮すると、また「右翼」だ「極右」だとか言われちゃうよ。
まあ、真珠湾の「第二次攻撃たられば」については、南雲中将の肩を持ってやりたいね。
つまり、第二次攻撃に踏み込まずに、空母六隻の機動部隊を無事に日本へ帰還させたことで合格点だと判定したいんだけど。
これに異存がなければ、次はミッドウェー海戦にいくのはどう。

ブ:うん、こちらも賛成だ。
じゃ、ミッドウェー海戦に入るとして、いろんな切り口があるんだよな。
よく指摘されるのが戦術的に「二兎を追った」という批判で、要は「ミッドウェー攻略」と「米空母撃滅」の二つを目的に作戦が立案されていること。

川:戦闘に勝利する条件は「意志と力の集中」だとされてるのに、この時の日本海軍はあれもこれもと欲張り過ぎだよね。
ミッドウェー作戦と同時にアリューシャン作戦も展開したせいで、空母戦力が分散してしまった。
アリューシャン攻略に向けた隼鷹と龍驤がミッドウェー作戦の南雲部隊に入っていたら、空母6隻体制になっていたんだよ。
龍驤は四十機弱、隼鷹は五十機程度の艦載機を搭載していたから、かなりの航空戦力アップだよね。
さらに、言うなら、南雲部隊の後方に位置した支援部隊にも空母を配置したもんだから、、、

ブ:川口の言う通りで、後方部隊に小型空母の鳳翔と瑞鳳がいたんだよな。
この空母二隻も南雲部隊に合流させとけば勝敗の行方は変わっていたかもしれないな。
なんか、むやみやたらに兵力を分散させているよな、ミッドウェーとアリューシャンの両面作戦で。

川:そうなんだよ。
山本五十六大将が高評価した黒島主席参謀がミッドウェー作戦を企画したんだけど、結局、この黒島さんが「意志と力の集中」という大原則を無視したんだろう。
山本大将も、この点に関しては人を見る目がなかったのかのかもしれないね。

ブ:山本さん自身も「名将」か「凡将」かで後世の評価が分かれる人だから、、、、
口の悪い人は山本大将を徹底的に批判するからな。

川:例えばさ、「戦艦部隊を空母機動部隊のはるか後方に配置したなんて愚の骨頂だ。戦艦群や重巡部隊を先頭に立てておいて、上空を空母のゼロ戦部隊で守っておけばよかった。仮に、アメリカの急降下爆撃機や雷撃機の攻撃を受けても、ゼロ戦の援護があるからそう易々と沈められはしない。先遣部隊が米艦載機を消耗させれば、後方の空母部隊への脅威が減ることになったのに」とかね。
なんか、日本海軍は自らが空母機動部隊中心の攻撃戦術を開発したのに、空母よりも戦艦を守りたかったのかな、理解に苦しむよ。

ブ:それなんだよ。
12月8日に真珠湾で大戦果をあげ、数日後のマレー沖海戦ではイギリス東洋艦隊を海軍航空機による攻撃で撃滅している。
後者の方は陸上基地からの攻撃だけど、とにかく航空部隊の破壊力を実証したのは日本軍が史上初だったのに。
だから、海戦においては、何よりも空母の防衛を最優先しなければならなかったんだ。
逆に、アメリカがそれに気づき、ミッドウェー海戦では日本空母群を叩くことに戦力を集中したんだな。

川:悔やまれるよね。
南雲空母部隊と大和を中心とする戦艦部隊は、なんと500キロも離れて行動していたらしいね。
そんな距離じゃ、イザというときに、駆け付けようとしても間に合うわけないし、、、
結局、武蔵は昭和19年のレイテ海戦で、大和は昭和20年の海上特攻でアメリカ航空部隊に沈められた。
むざむざ、あんな無駄な失い方をするくらいなら、ミッドウェーの時に南雲部隊と行動して空母群を護衛し、なんだったらミッドウェー島の米軍飛行場に日本の戦艦11隻から艦砲射撃の雨あられを浴びせまくってやればよかったんだよ。

ブ:それそれ。
ミッドウェー海戦の数か月後、ガダルカナル島の米軍飛行場に日本海軍の戦艦と重巡が夜間艦砲射撃攻撃を行って、米軍航空機に大損害を与えているんだから。
島の軍事施設に向かって戦艦が主砲をぶっ放すっていうのは、実は絶大な効果があるんだよ!

川:なぜ、同じ年の10月にガダルカナルで出来たことを、6月のミッドウェー海戦の際に思いつかなかったんだ、って話だね。
なんなんだろ、結局、山本五十六ともあろうものが、「大艦巨砲主義」から完全には脱却していなかったのかな?
日露戦争の日本海海戦完勝という成功体験が、日本海軍を縛り続ける亡霊と化していたのかね~。

ブ:かもしれないな。
日本海海戦がパーフェクトゲームすぎたから、大東亜戦争でも「夢よもう一度」という気持ちだったのか、、、
空母よりも戦艦を大事にしたと解釈されても仕方がないな、この頃の海軍の艦隊運用は。

川:なんだか、ミッドウェー海戦の「たられば」を語るとため息が出てしまうよね。
黒島とかいう変人参謀の奇をてらった作戦のせいで、空母赤城、加賀、蒼龍、飛龍の四隻を一気に失ってしまった、、、トホホだよね。
力が入んないよ、話に、、、

ブ:そうだな。
じゃあ、敗因は戦力の分散にあるとして、「たられば」としては「空母八隻体制」で臨み、目的を「アメリカ空母部隊撃滅」の一点に絞っていたら勝利していただろう、でいいかな。

川:うん、それでいこう。
ミッドウェー海戦に関しては、もっとマニアックな「たられば」もあるけど、また別の機会にしようよ。

ブ:賛成。
で、キリもいいから、今回はこの辺でお開きとしないか。
そろそろ、一杯やりたくなったな。

川:そうしよう。
こっちも家で『懐かしのプロレス名勝負』をDVDで楽しむとするか、、、

追記
ミッドウェー海戦に関する資料等に目をやると、当初、日本海軍はアメリカは空母部隊を出してこないと予想したとの記述もある。

昭和16年5月の珊瑚海海戦で、日本空母機動部隊は米空母レキシントンを沈め、空母ヨークタウンを大破させている。
この時点で、無傷の米空母はエンタープライズとホーネットだけであったため、日本側は、仮に米が機動部隊をミッドウェー戦域に送っても、行動可能な空母はその二隻だけだと判断していた。

ところが、実際には、アメリカの優れた工業技術は大破したヨークタウンを短期間で修復し、戦線復帰させた。
これにより、アメリカ側は空母三隻を出動させ、日本機動部隊を虎視眈々と狙ったのである。

勝ち戦が続いて、驕り高ぶった日本海軍は「米空母は出てこないだろう」「来ても、二隻だろう」と勝手に判断し、南雲部隊の空母四隻で充分だと踏んだのであろう。
要は、油断するにもほどがあったのだ。