少なからぬ学者は「日本学術会議」に反感を持っている!

さて、大好評の「日本学術会議」シリーズ第二弾。
早速、タイトルにあるように、同会議に反感を持っている学者の意見に耳を傾けてみよう。
以下の発言は、「東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか」から引用したものである。

*大学院経済学研究科 教授

⇒学術会議は「我が国の科学者の代表機関」などとされていますが、実際は学者の代表でもなく、日本の学術界を代表もしていません。会員の選考に関する情報がまわってきたこともありません。ですので一部の学術会議の関係者が、学者の代表であるかのような行動や発言を行っているのは迷惑です。

*大学院経済学研究科 教授

⇒私自身は6人の任命拒否の際などはぼんやりと問題だなとは感じていたものの、今は反対派の方々の活動の仕方や極端な言動・党派性を見て非常に疑問を感じ始め、このような人たちに勝手に「学術界の意見」を代表されるくらいであれば、政府のコントロールの方がよほどましだと感じるようになった。特に、弊学の一部教員については勝手に「東京大学教職員組合執行部有志」を名乗って勝手に組合の統一見解のように誤認されるような文章を同HPに掲載したり、YouTubeでのアジ演説のようなものを見て、この人たちや学術会議なるものの構成員というのはどういうレジティマシーがあって勝手に学術界を代表されるのか、そもそもこの組織の運営自体が極めて非民主的であり、それがゆえにこのような事態になっていると感じるようになった。

最初に発言を引用させてもらった教授は、学術会議の言動について、ハッキリと「迷惑」だと断言している。
お二人目も、学術会議メンバーの「党派性」や同会議の運営が「非民主的」であることを批判している。

それでは、本記事では、法人化される以前の学術会議とはいかなる組織であったのかを少し紹介したい。

*設立は昭和24年(1949年)であり、産みの親はGHQ

この昭和24年に学術会議が誕生したという事実は、極めて重要である。
なぜなら、当時、日本はGHQの占領統治下にあり、思想・言論統制を受けていたからだ。
さらには、GHQによる公職追放で、GHQが一方的に「保守的」だと見なした人物が各界から一掃されたことも忘れてはならない。

つまり、占領下で生まれたということは、日本学術会議がGHQの意向に沿った組織であったことを意味する。
対日占領政策を主導したGHQ民生局は、「ニューディーラー」すなわち「左翼」の巣窟であった。
占領軍内の左派が指揮した公職追放は、日本のアカデミズムの左傾化を大いに進めたことは間違いない。

当然、設立時の学術会議には、公職追放されていた保守的な人物が入る余地などなく、左派・リベラル学者の楽園であった。
その影響が、令和の時代まで続いているため、学術会議会員の一部が今なお、偏狭で独善的な態度で振舞っているのだ。
先に引用した教授たちの発言にある「党派性」「非民主的な運営」という指摘は、そのあたりを意味している。

要は、日本学術会議はGHQによる日本人洗脳計画に一役買ってきたのだ。
このGHQの負の遺産(=亡霊)を戦後80年にして、ようやく正す道筋が整いつつあるのかもしれない。

*法人化前の学術会議会員の立ち位置は

学術会議には会員が二百十名おり、特別職の国家公務員であった。
また、会員とは別に「連携会員」なるものも存在し、この者たちが約二千名で、一般職の国家公務員扱いであった。
言うまでもなく、給与・手当が出た。

その公務員である学術会員や連携会員たちは、政府の予算(=国民の血税)を使っておきながら、政府批判や極めて政治色の強い議論ばかり行ってきた。

菅政権が六名ほど任命拒否したのも、当たり前の話だろう。
政権批判や党派性の強い意見を出したいのなら、国から完全に独立し、自分たちの資金で運営した上で、いくらでもやればよい。
国民の多くがこれまでの学術会議側の言動を、「ムシが良すぎる」と思うのも当然だ。

国家公務員でありながら、国益の「こ」の字も考えない。
それどころか、自分たちが「軍事研究」と一方的に決めつけた技術研究や開発には圧力をかけて、つぶしてきた。
前記事で書いたように、北海道大学の研究を断念させた一件は有名だ。

*勇気ある学者たちに期待

前回、今回と法人化決定後に発言した学者さんの意見を、「東大教員は学術会議の法人化をどう見ているか」から引用した。
最後に、法人化以前から、学術会議の問題点を批判してきた、勇気ある学者のひとりとして、東京大学大学院理学系研究科天文学専攻・戸谷友則教授の意見を以下に紹介したい。

⇒このように非民主的で閉鎖的な組織が、日本の学術界で最高の権威を持ってしまっていて、ひとたび声明を出せば大学や学会を萎縮させ、研究者の自由が容易に奪われてしまう。これは大変深刻な問題であるというべきではないでしょうか。学術会議が暴走したとき、研究者個人の自由と権利をどうやって守っていくか。軍事研究の是非より、こちらのほうがよほど緊急の議論を要する問題であると、私には思えるのです。

戸谷教授の意見は、前述の通り、学術会議法人化決定の数年前に日本天文学会の月報に発表されたものだ。
その記事のタイトルは、「学術会議声明批判」である。
興味のある方は、「戸谷、天文学会」あたりでネット検索するとPDFで全文が公開されているので、ご一読を。

法人化決定の以前から、顕名で学術会議を堂々と批判できる戸谷教授の勇気は賞賛に値する。
批判文中には、「私には、学術会議は思い上がっているように見えます」などのかなりストレートな口調も見える。
それだけ、学術会議のやり口に対して、戸谷教授は腹が据えかねているのだろう。

ぜひ、これまで不愉快な思いをしてきた学者の皆さんは、学術会議批判をガンガン繰り広げてほしい。
国民は、非会員の学者さんたちの味方だから。

学術会議に関しては、日本共産党やその下部組織である民主主義科学者協会とのつながりも、同会議の偏狭性・独善性を考察する上で重要である。
また、本シリーズ第三弾でこの点に触れてみたい。