奈良時代の歴史クイズはどうですか?! ~ 今回が「日本史シリーズ」の第七弾!

すっかりお馴染みとなってまいりました、当ブログの歴史クイズシリーズ。
今回、早くも七回目となります。
常連の皆さんのお蔭でございます。

ということで、奈良時代に挑戦していただきましょう。

*(   )内を埋めてください。

701年⇒( 1 )律令完成
710年⇒( 2 )京に遷都
718年⇒藤原不比等ら、( 3 )律令を撰定
723年⇒( 4 )一身法施行
724年⇒陸奥国に( 5 )城を設置
729年⇒( 6 )王の変
740年⇒藤原( 7 )の乱
743年⇒( 8 )永年私財法施行
757年⇒( 9 )奈良麻呂の変

まずは、年代順の出題形式です。
それほど手こずる問題ではなさそうですが、、、
では、以下に解答を。

1 大宝 「大宝律令」  2 平城 「平城京」  3 養老 「養老律令」  4 三世 「三世一身法」  5 多賀 「多賀城」  6 長屋 「長屋王」  7 広嗣 「藤原広嗣」  8 墾田 「墾田永年私財法」  9 橘 「橘奈良麻呂」

奈良時代の始まりは、710年の平城京への遷都ですが、つい、大宝律令を入れてしまいました。
まあ、ご容赦のほどを。
気を取り直して、次のクイズへ。

* 以下の文章の空欄に適当な語(句)・人名を入れてください。

天武天皇の時代に始められた国史編纂事業は、奈良時代に一応の完成をみることになる。
712年に( 1 )が、続いて、720年に( 2 )が登場した。
前者は宮廷に伝わる「帝紀」「旧辞」にもとづいて天武天皇が( 3 )によみならわせた内容を、( 4 )が筆録したものである。
後者は( 5 )親王が中心となって編纂したもので、支那の歴史書の体裁をふまえた漢文の( 6 )で書かれている。

国史のみならず地誌の編纂もおこなわれた。
郷土の産物、地名の由来、古老の伝承などを筆録した( 7 )が、国ごとにつくられ、現在では、常陸・出雲・播磨など五か国のものが残っている。
また、751年には、七世紀後半以来の漢詩をまとめた、現存最古の漢詩集である( 8 )が編まれた。

日本古来の和歌も、様々な階層の人々によってよまれた。
それらの歌、約4500首を収録した( 9 )も忘れてはならない。
額田王、柿本( 10 )、山部赤人、大伴旅人など、多くの歌人が知られている。
(問題文はここまでです)

奈良時代の書物についてのクイズでした。
以下に解答を。

1 古事記  2 日本書紀  3 稗田阿礼(ひえだのあれ)  4 太安万侶(おおのやすまろ)  5 舎人(とねり)
6 編年体  7 風土記  8 懐風藻(かいふうそう)  9 万葉集  10 人麻呂

常連の皆さん、調子はいかがですか。
え、歯ごたえがなさすぎる?!
そうですか~。
では、締めは◎✖形式で。

* 以下の文章の正誤を、◎か✖かで答えてください。

1 740年、藤原広嗣は吉備真備や玄昉らの排除を求めて、九州で大規模な反乱を起こした。
2 桓武天皇は、仏教のもつ鎮護国家の思想によって国家の安定をはかろうし、国分寺建立の詔をだした。
3 孝謙天皇の父は聖武天皇であり、母は光明皇后である。
4 藤原仲麻呂は、淳仁天皇を擁立して即位させると、恵美押勝の名を賜った。
5 称徳天皇の寵愛を受けた道鏡は、西大寺の造営や百万塔の製作など、仏教政治を行った。
6 南都六宗とは、三論・法相・俱舎・華厳・律・禅の六学派のことである。
7 唐から来日した僧旻は、東大寺にはじめて戒壇を設けた。
8 平城京を中心に栄えた貴族文化は、聖武天皇時代の年号をとって天平文化と呼ばれている。
9 平城京は、朱雀大路を挟んで東側を右京、西側を左京と区分していた。
10 律令時代の教育機関として、中央に大学、地方に国学が設けられていた。

1 ◎
2 ✖ 桓武天皇ではなく、聖武天皇が正しい。
3 ◎ 孝謙天皇は、重祚して称徳天皇となる。
4 ◎ 藤原仲麻呂=恵美押勝
5 ◎
6 ✖ 禅ではなく、成実(じょうじつ)が正しい。
7 ✖ 旻(みん)ではなく、鑑真(がんじん)が正しい。
8 ◎
9 ✖ 東側が左京で西側が右京(⇒天皇のいる内裏側から見て、左は東で右は西となるため)
10 ◎

さて、首尾はどうでしたか。
あ、奈良時代なのに大仏関連のクイズを出し忘れてしまった!
ちなみに、大仏建立の詔がだされたのが743年で、もちろん聖武天皇主導の一大国家プロジェクト。
大仏の開眼供養が752年で、時は孝謙女帝の治世。

奈良時代は短いわりには、様々な「変」や「乱」が起きて、政情が不安定だったようです。
また、機会があれば、そのあたりも記事にしてみたいなと。

それでは、常連の皆さん、日本史クイズ第八弾をお楽しみに!