天津条約って三つもあるの? え、四つ? 面倒くさいな~、もう!

最近、幕末から明治初期にかけての事件や史実を確認していたら、「天津条約」が何度も登場するような、、、
あれ、甲申事変のあとに、日本と清が結んだ条約だったはず、、、
ありゃ、アロー戦争後にも、なんか天津条約ってあったような、、、

なんせ、浅学菲才の身ゆえ、頭の中がこんがらがってるな~。
というわけで、今回は日本史、世界史の中に出てくる天津条約をまとめて整理してみようかなと。
それでは、古いものから列挙していこう。

*1858年の天津条約=アロー戦争(第二次アヘン戦争)後に、清が露・英・仏・米とそれぞれ個別に結んだ条約。
*1885年4月の天津条約=甲申事変後に、日本と清との間で結ばれた条約。
*1885年6月の天津条約=清仏戦争後に、清と仏との間で結ばれた条約。

ごく簡単に三つの天津条約を見ていく。

◎ まず、最初の天津条約(1858年)は、アロー戦争(第二次アヘン戦争)中に清が、ロシア・イギリス・フランス・アメリカの4国と締結した条約。

アヘン戦争(1840~42年)後に結ばれた南京条約は清にとって不利な条約であったが、この天津条約はさらに不平等が拡大した条約である。

当時の西欧列強はやりたい放題で、思うがままにアジアを食いものにしていた。
詳しい条約内容は省くが、第二次アヘン戦争が日本の幕末以降に大きく関係する史実をひとつ紹介する。

1856年に始まったアロー戦争(第二次アヘン戦争)は、当時日本に乗り込んできていたアメリカ総領事ハリスにとって、絶好の交渉武器となる。

ずる賢いハリスは、1857年に江戸城にて、老中堀田正睦に対し「今ここで、アメリカと修好通商条約を結ばなければ、清と交戦中のイギリスがアロー戦争終結後に、数十隻の軍艦を率いて日本に押し寄せてくるぞ」とハッタリまじりの威嚇を行った。

さらに、翌1858年、英仏が清を蹴散らした知らせを受けたハリスは、堀田正睦に「英仏艦隊が清との戦争に勝った勢いで、日本に向かってくる」との旨の手紙を送りつけると、この意図的なデマに幕府は浮足だってしまう。
大老井伊直弼が孝明天皇の勅許のないまま、日米修好通商条約を米と締結したのは、このハリスの手紙を受け取ってからわずか5日後のことであった。

まんまと、幕府はペテン師ハリスの策略にはまったのである。
このような史実は、教科書には載っていない。
だからこそ、当時のアメリカ人がいかに卑劣で悪辣で狡猾であったかを、多くの日本人には覚えておいてもらいたい。

◎ 次に、1885年4月の天津条約を説明すると、この条約は日本と清との間で結ばれたもの。

明治の初めに朝鮮を開国させた日本と、朝鮮を属国を見なす清との間で、親日派(改革派・独立党)と清を頼みにする保守派(事大党)が対立していた。

1884年、清仏戦争(後述する)で清がベトナム方面で戦っていると、好機とばかりに親日派(独立党)が日本の援助を得て、クーデターを企てたが、清国軍が出動し、鎮圧した。
これを、甲申事変(こうしんじへん)というが、翌1885年に日本と清との間で締結されたのが天津条約である。
日清両国は、たがいに朝鮮から撤兵することや今後の出兵の際には事前通知することなどを定め、武力衝突を避けた。

◎ 続いて、1885年6月の天津条約とは、清仏戦争(1884年8月~85年4月)の講和条約である。

ベトナム(越南)領有をめぐり、フランスと清が争ったこの戦争では、清が優勢に戦っていたとの指摘もあるが、先述の甲申事変が起ったために、清がフランスとの講和を急いだという事情がある。

この条約で、清はベトナムの宋主権を放棄し、フランスはベトナムの保護権を獲得した。

◎ 周知の通り、当時は西欧列強がその軍事力を行使して、アジア諸国を植民地化・属国化していた。

日本の幕末から明治・大正・昭和(戦前)の内政・外交は、このような流れの中から考察しなければ、真実の相は見えてこない。

日清戦争、日露戦争もまたしかりで、それぞれを個別に捉えることには何の意味もない。
大東亜戦争に関しても、白人国家によるアジア植民化を阻止すべく奮闘した日本外交の帰結だと定義して、初めてその全貌が見えてくる。
何度も書いたが、満州事変を起点として「十五年戦争」などと呼ぶのは、極めて皮相的な見方だ。

◎ 最後に、もうひとつの天津条約について

タイトルに「え、四つ?」とあるように、ここまで見てきた三つの他にも、天津条約はある。
ただ、コイツは通常、「日清修好条規」と表記されている。

そう、1871年に日本と清との間で結ばれた対等条約が日清修好条規だ。
この条約が天津で締結されたために、通称・俗称(?)として「天津条約」が使われることもある。
ただし、あくまで正式の条約名は「日清修好条規」であるから、それほど気にする必要はなさそうだ。

ということで、天津条約に関しては三つほど覚えておけば大丈夫だろう。
って、「三つ」でも多いだろ!