人間は差別をする生き物だ。
一部の日本人女性は、セクシー女優をあからさまに蔑視している。
性産業従事者を差別しておきながら、「これは差別ではなく区別なんです」などと弁明。
さて、今回は約100年前の人種差別がテーマ。
第一次世界大戦(1914~1918)終結後の1919年1月、連合国代表がパリ講和会議を開く。
戦後の世界秩序を確立するためだ。
パリ会議でヴェルサイユ条約が調印され、この流れから1920年に国際連盟が発足する。
日本は、英・仏・伊とともに常任理事国に選ばれた。
(蛇足だが、日英同盟をもとに参戦した日本は戦勝国の一員であった)
国際連盟設立前のパリ講和会議の国際連盟委員会において、日本は「人種的差別撤廃提案」を行った。
我が国は、二度にわたり、人種差別撤廃を求めて提案をしたが、結局は否決された。
白人国家が人種差別を温存したかった理由は、大雑把に言うと以下のようなものだ。
*英帝国内の自治領であるオーストラリアやカナダがこの提案に強硬に反対していた。
*特に、オーストラリアは「白豪主義体制」を国是としていたから。
*白豪主義とは、白人を最優先し、非白人を排除する政策である。
(⇒人種差別を国家政策とする、この清々しいまでの差別意識は、100%本音丸出しで興味深い)
*米にとっては、差別撤廃提案を受け入れると国内法の改正につながるため、内政干渉だと米国民から批判が出た。
*米上院は、差別撤廃法案が採択されたらアメリカは国際連盟に参加しないと決議した。
要は、当時の白人国家にとっては「人種差別=当然のこと」という意識が強く、「有色人種を差別して何が悪いんだ?」が連中の本心だった。
今、「当時の」と書いたが、現在も白人の意識には「有色人種蔑視」が根強く存在するのではないだろうか、当ブログの誤解でなければ。
1919年4月に開催された国際連盟最終委員会において、日本側は連盟規約前文に「各国の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」との文言を盛り込むように提案した。
日本の提案は、出席者16名中11名の賛成票を獲得した。
ところが、議長であったウィルソン(当時の米大統領)は、このような重要事項の決定に関しては「全会一致」でなければならないと主張し、日本の提案を退けた。
ウィルソンにしてみれば、国内事情(=米上院の同提案に対する反対表明や黒人団体への牽制など)もあれば、イギリスと歩調を合わせる必要もあったのであろう。
前段のカッコ内について少々補足。
日本が、一回目の人種差別撤廃提案を行ったことが報道されると、世界の各地で賛同・感謝の声があがった。
アメリカでは、「全米黒人地位向上委員会」という団体が日本に対する感謝のコメントを発表した。
当然、ウィルソンはこの動きを警戒したに違いない。
米も英も仏も公式の場ではボロを出さないが、内々の私的な会話の中では日本に対する差別的な発言を交わしていたであろう。
思うに「あのイエローモンキーが調子に乗りやがって。常任理事国にするんじゃなかったよ」とか日本人の悪口を言っていたのではないだろうか、こちらの思い過ごしでなければ。
(話は変わるが、原爆投下の背景には日本人への人種差別があると断言する専門家もいる)
最終的に日本の提案はすべて否決された。
これに日本の新聞世論や政治団体は激高し、国際連盟への加入は見合わせるべきだとの強硬論も目立った。
会議に参加したうちの一人、近衛文麿はこの提案が否決されたことが原因で、白人に対して強い反感を抱くようになったと言われている。
その後、1924年には米で、いわゆる「排日移民法」が成立し、日系移民が全面禁止となる。
日本人の反米感情が高まっていくのは自然な流れであろう。
1930年には、アメリカで「ホーリー・スムート法」が成立し、二万品目以上の輸入品に重い関税をかけた(って、現代のトランプ関税の元祖か、、、)。
国際連盟委員会における日本の人種差別差別撤廃へ動きは、もちろん、日本の国益を考えてのことであろう。
そのため、日本人の中にも、当時の日本全権団の行動を過小評価するものもいる。
しかし、考えてみて欲しい。
幕末から、日本は絶えず、西欧列強から飲み込まれる(=植民地化される)危機感に震えながら必死で戦ってきたのだ。
19世紀のあの時代、有色人種の独立国は日本とトルコだけであった、実質的には。
アヘン戦争に敗れた清は、英・仏その他から食いものにされていた。
日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦と19世紀末から20世紀初頭にかけて、日本の歴史は戦争を抜きには語れない。
勝ったからよかったのであって、日清・日露で敗北していたら、今の日本は存在しない。
第一次大戦後に生まれた国際連盟で、日本が国家の存亡のためにも、差別撤廃提案を行った意義は大きい。
しかし、日露戦争に日本が勝利したあたりから、アメリカは日本を敵視し始める。
日本を弱体化されるために、米は様々な手段を講じた。
と、話が流れてきたぞ、、、ハハハ。
再度、本記事のポイントに戻る。
1919年、国際連盟委員会にて、日本は人種的差別撤廃提案を行った。
国際会議で人種差別撤廃を求めた国は、日本が世界初である。
しかし、影響力の強い「白人」国家の反対で、日本の提案は退けられた。
議長ウィルソンの宣言の背後には、米英豪などの国益に加えて、口には出さないが、白人種による有色人種への差別意識が根底にあるだろう。
そして、今でも、黒人や黄色人種を蔑視することに何の罪悪感も持たない白人がいる。
追記
日本人でありながら、「戦前の日本=100%悪」と洗脳されている左派・リベラルの方々に言いたい。
幕末あたりから、日本がいかに西欧列強の脅威と戦ってきたかを一度、じっくりと調べなおしてみるといい。
歴史の流れは連綿と連なっているものだ。
左派・リベラルの言う「アジア太平洋戦争」とか「十五年戦争」は、それだけが独立して、いきなり歴史の舞台に登場したわけではない。
最低でも、1840年代の日本の状況と西欧列強の動きから視野に入れて、戦前の日本までを連続して見つめていかないと、「大東亜戦争」の本質をつかむことはできないと思う。