本日、令和7年12月31日、大みそかでございます。
毎年のことながら「Time flies!」と嘆息する次第。
あっという間に一年が終わってしまいます。
常連の皆さん、今年も当ブログにアクセスいただきありがとうございました。
さて、さて、今年最後にアップする記事は何をテーマにするかなと考えながらも、アイデアがまとまらず、、、
まあ、例によって行き当たりばったりでキーを叩きますかね。
先日、宇佐神宮に参拝してきました。
そう、全国に4万社あまりある八幡様の総本宮。
八幡大伸(=応神天皇)・比売大神・神功皇后をご祭神にお祀りしております。
ふと、足を運ぼうを思い立ったのは、今年・令和七年が「宇佐神宮御鎮座1300年記念」の節目となるから。
宇佐に社殿を建てて八幡大神を祀ったのが、725年(神亀2年)だそうです。
つくづく、日本は古い歴史を持つ国だと実感させられます。
12月の平日に訪れたので、広大な境内には参拝者の姿もまばら。
ちょっと、拍子抜け。
その分、スマホ片手にのんびり歩いては、要所要所で写真を撮り、散策気分でお参りできました。
本殿は三つの御殿から構成。
左に八幡大神をお祀りする「一之御殿」、中央の「二之御殿」には比売大神、右の「三之御殿」には神功皇后をお祀りしております。
さて、ここで常連の皆さんに問題です。
この宇佐神宮の「参拝の作法」をご存じでしょうか。
わざわざクイズにするということは、、、、、
正解は、「二拝四拍手一拝」です。
文字通り、まず、二度深くお辞儀をしてから四回手を打ち、最後にもう一度丁寧に頭を下げるのが正式な作法となります。
では、再度、クイズです。
宇佐神宮と同様に、「二拝四拍手一拝」を参拝作法と定めている有名な神社はどこでしょう。
常連の皆さん、いかがですか。
このへんは、絶対王者川口の得意分野ですね。
正解は、出雲大社です。
なぜ、出雲と宇佐の参拝作法が同じで、しかも通常の拝礼法とは異なるのか。
普通は、「二拝二拍手一拝」なのに、、、、
ここには、なにか大きな謎が隠されているのでは、、、、
また機会を改めて、磯貝老師や王者川口に語っていただきましょうか、来年早々にでも。
ここで、宇佐神宮が創建された、神亀2年(725年)について少々。
この「神亀」という元号の由来を調べたところ、以下のような謂れがあるそうな。
養老7年(723年)に縁起の良い亀が朝廷に献上されたと伝わっています。
その亀は、両目が赤い白亀であったといいます(ってホンマですか?)。
これは目出度いということで、当時、即位する条件が整うのを待っていた首皇子(おびとのみこ)への朗報となりました。
そこで、翌養老8年(724年)に、「神亀 じんき」と改元し、首皇子が即位することになります。
この御方が、聖武天皇でございます。
まあ、なんだかな~、という感じがしないでもないですが、、、
体が白くて目が赤い亀なんているのかよ~、とツッコミを入れたくなりませんか、常連の皆さん。
聖武天皇即位の一年後に、宇佐神宮が鎮座ましますわけですね。
聖武天皇といえば、奈良の大仏。
その大仏建立には、宇佐神宮が協力しております。
「われ天神地祇を率い、必ず成し奉る。銅の湯を水となし、我が身を草木に交えて障ることなくなさん」という宣託を宇佐の八幡神が出したと伝わります。
要は、「私(=八幡神)が天の神や地の神を率いて、身を投げうって協力し、東大寺の建立を必ず成功させてみせる」と聖武天皇に協力を約束したのです。
宇佐八幡といえば、聖武天皇の娘である孝謙女帝とも大いに関係があるのは、皆さんもご存じの通り。
女帝と親密であった道鏡がらみの「宇佐八幡宮神託事件」はあまりにも有名。
この件は、一度記事にした記憶がありますので、ここでストップ。
他にも、宇佐は神仏習合発祥の地と言われたりもしますし、ネタには事欠かない神社です。
また、このあたりを取りあげることもありそうですね。
いつまでも、ダラダラとまとまりのない文章を綴っても仕方がないので、そろそろキーの打ち止めとしましょう。
常連の皆さん、令和七年もたいへんお世話になりました。
来年もよろしくお願いいたします。