令和の『仮面の忍者赤影』を視聴して童心に返ろう!

~豊臣秀吉がまだ木下藤吉郎だったころ、琵琶湖の南に金目教という怪しい宗教が流行っていた。それを信じない者は恐ろしい祟りに見舞われるという、、、~
ご存じ、昭和のガキを熱狂させた『仮面の忍者赤影』のオープニングナレーションだ。

何度も再放送されたので、冒頭ナレなどは完全に暗記している。
とにかく、最高に面白い作品であった。

この名作が令和の時代にリメイクされ、10月26日(日)の深夜から放送開始。
こちらは、TVerにて視聴している。

細かい設定は新旧で多少の違いがあるものの、旧作大ファンの当ブログも新作を楽しんでいる。
何というか、童心に帰って特撮モノをのんびりと観る時間もよいものだ。

第一話では、旧作同様、千年蝦蟇なる巨大なガマガエルの怪物が暴れまわるし、使い手の蝦蟇法師もチョロチョロして脇役感を放っている。
ただ、気になるのは敵方の首領、幻妖斎が素顔を隠していること。

昭和の『赤影』では、金目教の教祖・甲賀幻妖斎は、天津敏という名優が演じていた。
この天津さんがメイクばっちりの山伏風いでたちで、イイ味を出していたのが好きだった。
天津氏演じる幻妖斎が「赤影~」と叫ぶ姿には、なんとも言えない風格を感じたもので、しばしば真似をしたものだ、仲間内の遊びの中で。

一方、令和の『赤影』の幻妖斎は、「霞」の一文字が入った白布で顔を覆っている。
え、なぜ、「霞」なのかって?
それは、常連さんもご存じのように、幻妖斎率いる忍者集団の名前が「霞谷七人衆」だからだと思う。
「思う」としたのは、旧作の設定がそうなっていたから。

まあ、おそらくは令和版も、その大枠は踏襲するのであろう。
新作第一話では、蝦蟇法師と傀儡甚内(くぐつじんない)が幻妖斎配下の忍びとして織田信長を陥れようとする。
この傀儡甚内の忍術は他人の顔になりすますもので、得意げに(?)「忍法、顔盗み!」とか言ったりなんかして、、、
おいおい、そのまんまのネーミングだろ!

昭和版『赤影』では赤影、青影、白影の三人は全員が飛騨忍者であり、最初から仲間だ。
ところが、令和の『赤影』では青影はもともと、、、、、
おっと、あんまり書いてしまうとネタバレになってしまうな。

常連の皆さん、忙しい毎日を送っている中、もし30分ほど余裕がありましたら、令和の『仮面の忍者赤影』を試しに視聴してみるのも一興かも。

では、ネタバレにならない程度にもう少々。
蝦蟇法師も前作と今作とでは、見た目が異なるというか、、、、そりゃ、役者が違うから当たり前だろと指摘されそうだ。
だが、それだけではなく、昭和の蝦蟇法師の方がリアルというか、ハッキリ言ってしまうと「汚らしい」「いで立ちが変」「なんか妖しくて存在感あり」などと形容したくなる衣装とメイクの作り込みが見事なのだ。

ホント、それこそ乞、、、おっとアブナイ!
要は、「異世界の住民っぽさ」を醸し出していた。
本放送の際に、「忍者って凄いな!」と感動しながら観ていたような記憶がある。

昭和版の霞谷七人衆には、朧一貫(おぼろいっかん)とか夢堂一ツ目とかいう忍者もおりましてね、また、こ奴らの見た目のインパクトが半端じゃない。
一度見たら、絶対に忘れられない強烈さ。
令和版でも登場するかどうかは、調べてはいないけど。

ガキのころは気がつかなかったが、赤影の原作者・横山光輝には宗教の怖さを漫画を通じて伝えたい意図もあったのだろうか。
架空の「金目教」を舞台設定に組み込むことで、宗教の持つ魔力が人間の身も心も絡めとってしまう危険性に警鐘を鳴らしていたのであろうか。
まあ、こちらの深読みというか誤解かもしれないが、、、

そういう推測は置いといて、今後も令和の『仮面の忍者赤影』を視聴するつもり。
第三回は、11月9日(日)の深夜だろうから、10日以降にTVerで楽しむことにする。
昭和版と比較しながら、思いっきり童心に帰ろうと思う。

追記
さて、「童心にかえる」の「かえる」は「返る」が正しいのか、それとも「帰る」が適切なのか?
どちらも正しいとの説明をどこかで見た気がするが、、、
この件に関して御存じの方がおりましたら、ご教授ください。