9月3日、習近平政権は「抗日戦争勝利80年」なる虚構を記念して、大規模な軍事パレードを行った。
習近平の左右には、プーチンと金正恩の姿。
まさに、独裁国家トップ三人衆の揃い踏みといったところか。
あ、そういえば、鳩山由紀夫とかいうお調子者の国賊も尻尾を振って、この絵空事の式典に参加したそうだ。
バカは死んでも治らないと言うが、、、、
本題に入ろう。
タイトルに書いたように、習政権のいう「抗日戦争勝利80年」なるシロモノは歴史の歪曲、単なる虚構である。
以下に、その理由を記す。
◎ 1937年の盧溝橋事件から始まった日中戦争で、日本軍と戦ったのは、蒋介石率いる国民党軍であり、毛沢東の共産党軍はほとんど延安地区に引きこもっていた(=米ハドソン研究所の報告書より)。
日本を打ち破ったのを祝うべきなのは台湾であり、中国共産党ではない(=オブライエン米元大統領補佐官の見解)。
さて、少しばかり、時計の針をもどすと(アナログだな~)、1912年に中華民国が成立し、中国共産党の誕生は1921年のことだ。
その後の経緯を、ごく大雑把に説明すると、1924年に国民党と共産党が協力関係を結ぶが、1927年から両者は内戦状態に入る。
その後、1937年に「国共合作」が成立し、国民党軍と共産党軍がそれぞれに抗日戦闘を行うこととなった。
しかし、後述するが、現実には共産党軍は国民党軍の力を削ぐことに専念する。
つまり、中国共産党の主な敵は蒋介石政府であり、日本軍ではなかった。
このあたりの事情は、戦前なら軍人だけではなく、一般の日本国民もひろく知るところであった。
ただ、令和の日本の若者には、ハドソン研究所の報告やオブライエン氏の指摘が新鮮に映るのかもしれない。
*補足
共産党軍の一部が国民党軍と合流して、抗日活動に従事した事実(?)をもって、中国共産党は抗日戦勝利に貢献したと言いたいのかもしれない。
共産党の遊撃部隊、いわゆる「八路軍」については、また機会があれば取り上げたいとは思っている。
◎ 戦時中の中国共産党は、1937年の「国共合作」後も抗日どころか、水面下では日本軍と不可侵条約を結んでいた(=遠藤誉教授の研究より)。
つい先日、筑波大学名誉教授である遠藤誉氏のネット記事を興味深く読んだ。
遠藤氏は、台湾の「国史館档案史料文物査詢系統」へアクセスして、1938年から1944年にかけての中華民国抗日戦争の機密文書を調べ、以下のような記録を発見したそうだ。
*共産党軍は専ら、国民党軍を攻撃することに専念し、日本軍に国民党軍がどこにいるかを通報していた。
*共産党軍は庶民の「便衣服」に着替えて日本軍の中に紛れ込み、複雑な地形の道案内をして国民党軍の防御線を突破させている。
*江蘇省一帯における共産党軍と日本軍との間に不可侵条約が結ばれていた。
以上は、遠藤教授が紹介する具体例の一部である。
遠藤氏は、現在の中国政府のシンクタンク中国社会科学院の研究者が書いた論考にも目を通して、台湾側の機密文書の内容を裏付ける記述も確認している。
興味のある方は、ネット検索すれば、氏の記事がヒットするので、一読を勧めたい。
◎ そもそも、日本・日本軍は、中国共産党には降伏していない。
まず、毛沢東軍は日本軍とほとんど戦闘を行っていないどころか、前述のように、互いに不可侵条約まで結んでいる。
また、日本がポツダム宣言を受諾した要因は、主に二つで、米による原爆投下とソビエトによる掟破りの対日参戦である。
すでに戦争継続能力がほとんど残っていなかった日本にとって、二発の原爆とソ連の強襲は戦争継続の意志をくじくものであった。
ポツダム宣言は、アメリカ、イギリス、中華民国の政府首脳の連盟において我が国に発せられた。
従って、中国共産党は、同宣言には全く無関係である。
くどいようだが、毛沢東軍は日本軍とほとんど戦っていないし、日本は毛沢東に降伏したわけではない。
◎ おわりに
ここまで読んでいただければ、習近平のいう「抗日戦争勝利80年」などというものが、単なる虚構であることは一目瞭然であろう。
中国共産党は、統治の正当性を自国民にアピールするために、嘘で塗り固めた絵空事を大々的に宣伝しているのだ。
大東亜戦争中に、日本軍と戦ったのは、蒋介石率いる国民党軍である。
しかし、抗日戦後の1946年6月に始まった国民党と中国共産党の内戦において、最終的には共産党が勝利し、1949年10月に中華人民共和国が成立。
敗れた国民党政府は台湾に移った。
そうなれば、「勝てば官軍負ければ賊軍」で、大陸の共産党政権の「言ったもの勝ち」状態が続いているのが現状である。
我が国も敗北したために、一から百まですべて日本が悪いことにされてしまった。
日本人の多くに、特に現代を生きる若い人たちに、このような事実を知ってもらいたいと思う。
あと、常連の皆さんから「なぜ、ポツダム宣言にソビエトが参加していないのか?」との疑問が上がりそうだが、、、
この件に関しては、また機会を改めて記事にしたいと思う。
追記
チャイナのいう「抗日戦争」は、当ブログでは「支那事変」とか「日華事変」と呼びたいのが本音だ。
なぜなら、当時の日本も中華民国も互いに宣戦布告をしなかったからだ。
まあ、「日中戦争」と呼ぶ人が多いから、こちらも仕方なく使うこともある。
ただ、「十五年戦争」なる呼称は、好きではない。